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  • 世界経済フォーラム(WEF)発、グローバルに見るデジタルを前提にした未来地図

世界の現在地は“複合危機”の真っ只中にある【第1回】

本田 希里子(世界経済フォーラム ビジネス・エンゲージメント統括(日本))
2026年4月17日

テクノロジーのパラダイムシフトが“主権”を揺るがす

 こうしたテクノロジーのパラダイムシフトは“主権(Sovereignty)”のあり方にも大きな影響を与えている。

 近年、AI技術、データ、エネルギーといった戦略的資源は、一部の巨大テクノロジー企業への集中が急速に進んでいる。これらの企業は膨大な計算資源や、データ基盤、半導体設計能力、クラウドインフラなどを垂直統合し、国家を凌駕する規模の影響力を持つようになりつつある。その結果、各国の「AI主権」「データ主権」「エネルギー主権」は相対的に弱まりつつある。

 背景には2つの構造的変化がある。第一は、テクノロジーは本質的に国境を越えるという点だ。AIモデルは国境を越えて提供され、クラウド基盤はグローバルに分散し、データは瞬時に移動する。第二は、最先端技術の開発には莫大な投資とエネルギーが必要になり、それを担えるアクターが限られているという現実である。

 このような構造の中では、一国がAI開発からインフラ、データ、エネルギーまでを完全に自前で確保することは容易ではない。多くの国や企業が特定のプラットフォームや技術スタックに依存せざるを得ない状況が生まれている。

 こうした課題に対する新たな試みも始まっている。その1つが「Digital Embassies(デジタル大使館)」だ。国家が自国の主権を維持したまま、国境を越えてデジタルインフラを拡張する新しいモデルとして注目されている。具体的には、サイバー攻撃や自然災害、あるいは戦争などで国内のインフラが損なわれた場合に備え、重要な政府データや国民のデジタルアイデンティティを国外のパートナー国の安全なサーバーに保管する。

 パートナー国に保管されたデータは、物理的な大使館同様に、ホスト国の法律から保護され、元の国家の管轄権が適用される。信頼できるデジタルインフラを国際的に設計・統治・運用するための共通基盤の確立に向け世界経済フォーラムは、AIの主権に関わる「デジタル大使館フレームワーク」の開発を関係者とともに進めている。

AIと共存する社会は誰も未経験

 2026年の年次総会は明確な答えを示す場ではなかった。むしろ、分断が深まる世界の中で、最も重要な問いを共有するための場であったと言える。ベルギーのデウェーフェル首相は会合で、イタリアの思想家グラムシの言葉を引用し「古い世界は死につつあり、新しい世界は生まれようとあがいている。今はモンスター(怪物)の時代だ」と語っている。

 19世紀の国際秩序は、力による領土拡張を前提にしていた。しかし21世紀の世界は、急速に進化するテクノロジーと、既に高度に相互依存した経済構造の上に成り立っている。どれほど世界が分断されようとしても、テクノロジーは国と国、人と人を結びつける方向に働き続ける。

 米マイクロソフトのサティア・ナデラ会長は「AIは急速に世界に浸透し、経済成長の新たなエンジンになる」と語り、米NVIDIAのジェンスン・フアンCEO(最高経営責任者)は「AIが技術格差を縮小する可能性」に言及した。一方で歴史家ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「人類は人間とAIが共存する社会をまだ経験したことがない。正しい問いを立てることこそが解決への第一歩である」と指摘する。

“原則”を重視する日本に広がる機会

 こうした世界の変化のなかで、日本そして日本企業にとっての機会も見えてくる。年次総会では「対話は贅沢ではなく必須である」と繰り返し語られた。これは外交や政治だけでなく、企業経営にも当てはまる。日本企業にとって、ステークホルダーとの継続的な対話、異なる価値観との共存、分断を前提とした意思決定が、競争力の源泉になりつつある。

 米欧関係の緊張や地政学的分断が深まるなか、日本は中堅国の一角として信頼構築やルール形成に貢献できる立場にある。法の支配や自由貿易といった原則を重視する日本の姿勢は、分断が進む国際社会において橋渡し役としての役割を果たし得る。

 さらに、日本企業の長期志向、合意形成力、現場力は、新興国やインド太平洋地域との協業において大きな価値を持つ。AIをはじめとする技術革新は不可逆的であり、企業の競争力を大きく左右する。しかし同時に、年次総会では「人間性をどう守るか」という問いも強く投げかけられた。

 人間中心の設計、安全性や品質を重視する日本企業の姿勢は、責任ある技術の実装という観点から世界に発信できる1つのモデルになり得る。人口減少社会への対応、自然災害への備えと復興の経験など、日本が培ってきたレジリエンスの知見もまた、次の繁栄のあり方を考えるうえで重要な示唆を与えるだろう。

 不確実性が唯一の確実性となる時代において、ダボスでの年次総会は世界の未来を決めたわけではない。しかし、未来を形づくるための問いと、その輪郭は確かに浮かび上がり始めている。

本田 希里子(ほんだ・きりこ)

世界経済フォーラム ビジネス・エンゲージメント統括(日本)。ドイツ証券 投資銀行本部戦略・経営管理部長、みずほ証券/みずほフィナンシャルグループ、アビームコンサルティングにて戦略・経営企画・経営管理等を歴任。早稲田大学商学部、早稲田大学大学院商学研究科卒。独WHUコブレンツ経営大学院、仏パリ政治学院 DEA(国際関係学修士)。2014 年より世界経済フォーラム勤務。