- Column
- 今こそ問い直したいDXの本質
そもそも「DX」とは何なのか、その定義を問う【第1回】
DXの根本的な部分に納得していないあなたへ
環境変化を生み出すインターネットが日常生活に溶け込んでいる
ビジネスの環境認識について、少し補足します。例えば高度経済成長期は、作れば売れる時代でした。言い換えれば、需要に対し供給が不足している時代です。しかし供給能力が上がり社会が豊かになると、こんどは需要を作る必要があります。この環境変化を読み取った企業がマーケティング手法を変えたのです。
こうした環境の変化は、これまでも数多くありました。円高になったため海外に拠点を移したり、団塊世代が退職するため技能継承に力を入れたりです。では現在、環境変化を生む一番の要因は何か。それはインターネットだと筆者は考えます。
米Amazon.comの祖業はオンライン書店ですが、同社が大型書店と異なる点は何でしょうか。全国に拠点を持つような大型書店であれば、かなり高度なITを導入しているでしょう。Amazonは、その高度化の延長線上にあるのでしょうか。ホテルチェーンと米Airbnbの違い、あるいはタクシー会社と米Uber Technologiesの違いは、どうでしょう。
こうした対比の中で最も典型的なのがインターネット上の百科事典Wikipediaではないでしょうか。何十冊もの分厚い百科事典が、コンピューターに収まればWikipediaになるでしょうか?実際、そういった製品も存在しましたが、消えてしまいました。
これらはいずれもIT化とDXの違いの例です。つまり、ITがツールから環境になったのは、インターネットが私たちの生活に溶け込んだからなのです。1つひとつの要素を見れば、それぞれは過去のITが発展したものに過ぎません。そのため微視的に見ている限りにおいて、環境の変化は感じられません(すべからく環境とはそういうものでしょう)。
生活者としての私たちは今、確かにインターネットと不可分な暮らしを送っています。しかし一方で、仕事の仕方はどうでしょう? ビジネスの仕組みは? それらが、もし30年前のインターネットがなかった時代と比べ、あまり変わっていないなら恐るべきことです。
というのも、新しい世代が新しいビジネスを立ち上げる際には、そんなやり方を採用せず、もっと遥かに効率的でダイナミックな会社を作るからです。それができる企業が多ければ、いまの会社は明らかに劣後してしまいます。これがDXの必要性の本質なのです。
制御不可能な環境の中でビジネスのあり方を問う活動がDX
さて最初の問いに戻りましょう。「DXはオワコンなのでしょうか?」
機械学習とかIoTとか、個々の技術には流行り廃りがあります。なので、例えばDXを「既存システムのクラウド化だ」と考えている人にとって、DXはそろそろ終わりでしょう。大規模言語モデル(LLM:Large Language Model)による業務の効率化を想像している人なら、ブームの終焉は、もう少し先でしょう。
ですが、DXというものは、そういう小さな話ではありません。ITがツールから環境になるなかで、どうやって今のビジネスを立て直し、変化を生き延び、将来に発展できるかという話なのです。
にもかかわらずDXが分かりにくいのは漠然としているためです。ただ、それも当たり前で、目に見えない環境変化は現在進行形で、かつ世界で同時に進行している、お手本のない状況だからです。
日本企業は、先進的な海外企業の成功事例の真似をするというタイムマシン経営がお得意です。しかし、それがうまくはまらないとすれば、その対策は自分たちで考えるしかありません。分かりやすく、すぐに飛びつけるソリューションが枯渇したことをもってブームの終焉と見るなら、そんな“ショボい”世界観で良いはずがないのではないでしょうか。
という訳で、DXは今後も継続するというのが筆者の見解です。この見立ては、未来予測というよりは、DXの定義や現状認識からきていることをご理解いただければと思います。
次回以降は、デジタルとは何か、必要な人材とは何なのかなどに触れていきたいと思います。
磯村 哲(いそむら・てつ)
DXストラテジスト。大手化学企業の研究、新規事業を経て、2017年から本格的にDXに着手。中堅製薬企業のDX責任者を務めた後、現在は大手化学企業でDXに従事する。専門はDX戦略、データサイエンス/AI、デジタルビジネスモデル、デジタル人材育成。個人的な関心はDXの形式知化であり、『DXの教養』(インプレス、共著)や『機械学習プロジェクトキャンバス』(主著者)、『DXスキルツリー』(同)がある。DX戦略アカデミー代表。