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総合機械の北川鉄工所、3Dモデルによるデジタル生産目指し全社で2D図面を撤廃
「3DEXPERIENCE WORLD JAPAN 2025」より、DX戦略本部 DX推進室の浅井 孝之 氏と岡崎 純平 氏
総合機械メーカーの北川鉄工所は、3D(3次元)モデルを起点にしたデジタル生産に向け、設計段階での2D(2次元)図面を撤廃した。同社DX戦略本部 DX推進室の浅井 孝之 氏と岡崎 純平 氏が「3DEXPERIENCE WORLD JAPAN 2025」(主催:仏ダッソー・システムズ日本法人、2025年11月14日)に登壇し、2D図面撤廃の経緯や目指しているデジタル生産について説明した。
「創業から100余年、現場を支え続けてきたのは2D(2次元)図面という強固な伝統だった。それを乗り越え全社で設計の3D(3次元)化に挑んでいる」--。北川鉄工所 DX戦略本部 DX推進室の浅井 孝之 氏は、デジタル生産に向けた意気込みをこう話す(写真1)。
北川鉄工所の創業は1918年(大正7年)。広島県府中市に本社を置き、現在は国内外に28拠点を展開し、従業員数は約1400人だ。総合機械メーカーとして、素材開発から完成品加工までを一貫して手掛ける金属素形材と、建設機械部品や立体駐車場などの産業機械、旋盤やマシニング用パワーチャックなどの工作機器の3事業を主力にする。
これらのうちパワーチャックは国内でシェア60%を持つ。また産業機械分野では、クライミングクレーンの「ビルマン」シリーズがビル建設需要を受け好調なほか、自走式立体駐車場は東京国際空港(羽田空港)や広島市内のアウトレット施設などに採用されている。浅井氏は「創業以来、多彩な分野で技術力を発揮できる総合力が強みだ」と話す。
ヒューマンエラーを生む2次元設計の伝統をデジタル生産に転換する
ただ現場では「100年以上続いてきた2D図面の運用には、2020年の段階で設計、製造、営業の各部門で限界を感じていた」とDX推進室の岡崎 純平 氏は振り返る(写真2)。
創業以来40年間は手書き図面だったが、1960年代にドラフター(製図機)を導入。1986年には2D CAD(Computer Aided Design:コンピューターによる設計)ソフトウェアを、2000年には3D CADソフトウェアをCAM(Computer Aided Manufacturing:コンピューターによる製造)目的で、それぞれ導入した(図1)。
だが「2D図面から3Dによる設計への切り替えに時間が掛かり失敗に終わった」と岡崎氏は打ち明ける。結果、3D CADの利用範囲は「解析、プロモーション用CG(Computer Graphics)とアニメーションの作成に留まった。
そして2020年には「2D図面の限界が明確になった」(岡崎氏)。具体的には「営業部門では紙の図面による打ち合わせに時間がかかっていた。一方、設計部門では加工中に部品の干渉が発見され、製造部門が実機での干渉チェックを繰り返していた」(同)という。
問題の本質を岡崎氏は「2D図面は、システムへの読み取り効率が悪く自動化が困難だった。結果、人が介在するプロセスではヒューマンエラーのリスクは避けられない」と分析する。
こうした課題を解決するため北川鉄工所は2021年、DX(デジタルトランスフォーメーション)戦略本部を設立。全社設計業務の3D化を決定し「3Dモデルを起点としたデジタル生産」(岡崎氏)を目指し始めた。
デジタル生産への取り組みは次の3つのフェーズで進めた。
フェーズ1(2020年〜)=導入・立ち上げ :モデリングルールを策定。新しいPDM(Product Data Management:製品データ管理)システムとして「SOLIDWORKS PDM(製品データ管理)」(仏ダッソー・システムズ製)を導入し、既存のPLM(Product Lifecycle Management:製品ライフサイクル管理)システム「Obbligato」(NEC製)をバージョンアップした
フェーズ2(2022年〜)=浸透・定着 :推進者を育成するために3D CADソフトウェア「SOLIDWORKS」(仏ダッソー・システムズ製)の認定試験を受けるともに、仏ダッソー・システムズ日本法人と同代理店のNECネクサソリューションズによる機能説明会を実施。システム面ではPDMとPLMのデータ連携の開発に注力した
フェーズ3(2024年〜)=活用・発展 :推進者を主体に、部門間で技術交流会を開催した。3DビューワーをPLMに登録し、3Dデータの全社活用環境を構築した。3DモデルはCAM、CAT(Computer Aided Testing:コンピューター支援検査)、板金展開に利用し、工作機械プログラムを自動で作成できるようにした
そして2025年9月末までに「長年使用してきた2D CADソフトの利用を終了し、図面文化からの脱却が実現した」と岡崎氏は話す。


