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フィジカルAIが迫る“人と機械の役割の再設計”【第3回】

小久保 慎平(KPMGコンサルティング マネジャー)
2026年8月5日

安全性と責任分界は設計段階で決める

 フィジカルAIでは、AI技術による誤認識や誤判断が、工場の停止や設備の破損、人体への物理的危害につながり得る。生成AI技術のハルシネーション(幻覚)が主に情報の誤りとして現れるのに対し、身体性を持つフィジカルAIでは、リスクが物理空間に及ぶ。

 安全性は、接触や挟まれ、衝突といった「機械安全(Machine Safety)」にとどまらない。(1)センサー冗長性や異常検知を含む「機能安全(Functional Safety)」から、(2)モデル更新後の性能劣化を扱う「AI安全(AI Safety)」、(3)制御系への侵害や通信途絶を扱う「サイバー安全(Cyber Security)」、(4)作業者教育や停止権限、事故報告、保険契約を含む「運用安全(Operational Safety)」まで、複数の層を統合して設計しなければならない。

 安全性と責任分界を設計段階で考える意味は、規制や制度の変化によっても増している。EU(欧州連合)の「EU AI規制法(EU AI Act)」は段階的に適用が進んでいる。高リスクAIシステムへの義務適用スケジュールは制度調整の過程にあるものの、対応設計は今から着手すべき課題である。

 なお、フィジカルAIが一律に高リスクに分類されるわけではない。高リスク該当性は、用途、利用環境、製品安全規制との関係、付属書III(Annex III)に掲げられたユースケースへの該当性によって個別に判断される。

 EUで2024年12月に発効した「改正製造物責任指令(Directive (EU) 2024/2853)」は、ソフトウェアやAIシステムを含むデジタル要素を製造物責任の射程に入れる方向へ制度を拡張した。ロボット本体、制御ソフトウェア、AIモデル、運用環境が複合するフィジカルAIでは、メーカー、ソフトウェア提供者、導入企業の責任分界を、調達契約、SLA(Service Level Agreement:サービス品質保証)、保険を通じて事前に整理しておくことが重要になる。

 さらに、ヒューマノイドを含む自律型ロボットの開発では、米国と中国の企業・政策動向が大きな存在感を持っている。センサー、エッジAIチップ、減速機、アクチュエーターといった基幹部品に加え、ロボットOS(基本ソフトウェア)、学習環境、データ基盤、保守・更新体制も、パートナー選定やサプライチェーンリスクを考えるうえで無視できない。

 どの技術スタックを採用するかは、単なる技術選定にとどまらず、中長期の事業継続性を左右する経営判断として扱うべきだろう。

実装準備力には“業務領域、エコシステム、人材・組織”の3軸がある

 以上を踏まえれば、フィジカルAIの実装における最大の障壁は、個別技術の性能だけでは説明しきれない。産業現場で問われるのは、現場データや、業務プロセス、安全検証、責任分界、運用体制をどう統合するかである。モデルの性能が高くても、それが現場の業務や設備、人の動きと接続されなければ、価値は上がらない。この接続力を筆者は「現場との統合設計力」だと捉える。

 RaaS(Robot as a Service)のように、ロボット本体、保守、ソフトウェア更新をサービスとして利用する形態は、初期投資を抑えながら実装経験を積む選択肢になり得る。一方で、ベンダー依存、データ所有権、サービス終了時の移行、事故時の責任分界は、契約段階で整理しておくべき論点である。

 フィジカルAIの活用に向けて経営層がまず確認すべきレディネス(Readiness:実装準備力)は、次の3つである(図2)。

図 2:フィジカルAI実装に向けたレディネス(Readiness:実装準備力)の起点は、業務領域、エコシステム、人材・組織の3軸での点検

点検軸1 :自社のオペレーションモデルにおいて、フィジカルAIが前提条件を変える可能性がある業務領域はどこか
点検軸2 :ロボットメーカー、AIモデル提供者、システムインテグレーター、保険会社を含むエコシステム全体で、責任の所在と分担を設計できているか
点検軸3 :現場人材の役割転換を、単なるリスキリングではなく、職務設計、評価制度、採用戦略の再構築として捉えているか。

 これら3点は、導入可否を判定するチェックリストではない。むしろ、フィジカルAIを使って、どの業務を残し、どの判断を機械に委ね、どこで人間が介入するのかを、経営として決めるための判断軸である。

 フィジカルAIを“導入”プロジェクトとして管理するだけでは不十分だ。問われているのは、省人化の投資対効果ではなく、自社の競争力の前提を再設計する力だ。どの技術を選ぶかよりも、技術の組み合わせから生まれる事業オプションを経営が主体的に設計できるか。その能力が、フィジカルAI時代の競争優位を左右する。

 フィジカルAIは“人を減らす”技術ではなく“人と機械の役割を再設計する”技術である。経営層には、その再設計を、誰が、どの論点を持って主導するかが問われている。その再設計は、現場部門やIT部門が単独で担えるものではない。オペレーションモデルそのものの設計に踏み込む以上、経営自身が主導すべき論点である。

 次回は、量子コンピューティングを取り上げる。量子時代に備える“量子Ready企業”として、企業が今、整えるべき技術・人材・ガバナンスの論点を考える。

小久保 慎平(こくぼ しんぺい)

KPMGコンサルティング マネジャー。国内精密機器メーカーにて半導体製造装置およびXR(X Reality:仮想・拡張・複合現実)システムの開発に従事した後、国内自動車メーカーにて自動運転・高度運転支援システムの開発に携わる。複数企業との共同開発プロジェクトを主導し、技術の量産化・市場投入の経験を持つ。

KPMGコンサルティング参画後は自動車・製造・金融など多様な業界に対し、法規制対応やサイバーセキュリティー高度化を目的としたAI開発・導入を推進。近年はAIにロボティクスやXR、IoTを組み合わせ、インフラの事前保全や、製造の高度化と製造能力の維持・向上に向けた製造業でのフィジカルAI導入など、先端技術の社会実装を技術パートナーと連携し支援している。