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- 医療・健康
人体のバーチャルツインが個別化医療や新薬開発を加速する
仏ダッソー・システムズ バーチャルヒューマンモデリング シニアディレクターのスティーブ・レビン氏
バーチャルツインの対象は肝臓や眼などにも拡大中
リビング・ハート・プロジェクトでは、医療現場において「心臓に関する知識がさまざまな専門分野に細かく断片化されている」(レビン氏)ことを課題だと捉えている。電気の専門家は心電図の波形を見て、筋肉の専門家は超音波画像の動きを見るなど「それぞれが見ているデータや使う言葉が違うため、両者の知見を持ち寄っても心臓全体の動きとして理解することが困難だった」(同)からだ。
心臓のバーチャルツインでは、電気、筋肉の動き、血流といった異なる種類のデータを1つの3Dモデルとして同社のクラウド基盤「3DEXPERIENCEプラットフォーム」上で統合する。同モデルを見ることで専門家は「自分たちの専門領域が互いにどう影響し合って“心臓の鼓動”という1つの現象を生み出しているのかを、視覚的に共有・議論できるようになった」(レビン氏)
バーチャルツインの対象は現在、脳や肝臓、肺、関節、膝、股関節、眼など人体を構成する種々のパーツに応用されている。それぞれのプロジェクトが、具体的かつ個別の医療課題の解決を目指している。
例えば肝臓を対象にする「リビング・レバー・プロジェクト」では、新薬候補の毒性を精密にシミュレーションし副作用を予測する。「より安全で効果的な治療法の開発、ひいては新薬開発プロセスの効率化とコスト削減へのインパクトが期待される」とレビン氏は説明する。
眼が対象の「リビング・アイ・プロジェクト」では、米NASA(アメリカ航空宇宙局)の宇宙ヘルス部門と共同で、宇宙飛行士が無重力空間で視力を失う「宇宙失明症」の原因解明に取り組んでいる。シミュレーションにより誰が発症リスクを持つかを予測し、予防法や治療法を開発する。レビン氏は「眼の後部にある視神経と血流の解明に力を入れており、その成果は地上での眼疾患の治療にも応用できる」と力を込める。
これらのバーチャルツインが実現している背景には「パラメーターの定義と変更によってモデル全体を修正するパラメトリックモデル技術の高度化がある」とレビン氏は説明する。「構造化されたデータを処理できるためAI(人工知能)技術との親和性が高く、作成時間を数分にまで短縮できた」(同)という。従来は、患者のスキャンデータから心臓の3Dモデルの作成には数日を要していた。
加えてバーチャルツインの情報量を高めるために、例えば喉頭がん分野では、喉にセンサーを挿入する技術や、がん細胞を検出するカメラ付き錠剤の技術も研究開発しているという。
経験と勘の医療からデータに基づくエンジニアリングな医療へ
バーチャルツインによるシミュレーションでは「1000通りの手術方法を仮想空間で検証するだけでなく、手術後の運動や睡眠の状態まで考慮した最適なアプローチを導き出すなど、治療計画の精密化・最適化が可能になる」とレビン氏は強調する。
そこでは「医療が、医師の手技や経験と勘に頼る“芸術”から、体の仕組みを理解した上でデータに基づいて最適解を導き出す、再現性の高いエンジニアリングへと近づいていく」(レビン氏)
しかしシミュレーションによる個別化医療が社会に浸透するには、コストの問題も残る。「新しい技術の導入は高価で、最初の手術を正しく実行するには時間もかかる」(レビン氏)。ただ「手術が長期化すればシミュレーション手法のコストは相対的に安価になる。実際、米ボストン大学における小児手術では、シミュレーションにより手術回数が減少したという実例がある」(同)
シミュレーション医療の社会実装に向けて規制当局との連携も進める。米国食品医薬品局(FDA)とは2014年から協力関係にある。「最初の5年間は懐疑的だったが、現在は技術の進展が認められ、5年前からは臨床試験を強化する『エンリッチメント・プロジェクト』を共同で開始した」(レビン氏)。バーチャルツインを臨床試験で活用するための公式ガイドブックも公表されている。
日本では「医療機器メーカーのテルモが、数年前からダッソーのシミュレーション技術を研究開発に活用しており、臨床試験を進めている」とレビン氏は話す。今後は、個人データのプライバシーやセキュリティを守るために欧州や日本など米国地域以外での規制当局との連携も視野に入れる。