- Column
- AI協働時代の技能継承のカタチ〜技と知を未来につなぐために〜
人間とAIの役割分担が“技能継承”に新たな形を生み出す【第1回】
深刻化する技能継承の課題とAI適用の可能性
日本の製造業や専門職において“技能継承”の課題は年々深刻化している。熟練者の高齢化と若手人材の減少により、貴重な技能の消失リスクが高まっている。特に、以下のような課題が技能継承を難しくしている。
課題1:言語化の難しい“暗黙知”の存在
熟練者が持つ知識やスキルの中には言語化が困難な“暗黙知”が多く含まれている。故野中 郁次郎 氏らが提唱した知識創造のプロセスである「SECI(セキ:Socialization(共同化)、Externalization(表出化)、Combination(結合化)、Internalization(内面化)モデル)によれば、知識は“暗黙知”と“形式知”の間を循環しながら発展していく。
熟練者の技能は共同化により現場でのOJT(On the Job Training)などを通じて共有されるものの、言語化が難しく、標準化が進まないという問題がある。例えば、精密な溶接技術では、金属のわずかな色の変化や音の違いが重要な判断材料になる。だが、これらを言葉やマニュアルだけで完全に伝えることは困難だ。
しかし、AI技術、とりわけ生成AIやRAGを活用すれば、こうした暗黙知を表出化し、デジタルナレッジとして整理できるようになる。例えば、熟練者の作業を映像解析し、AI技術がその動作のポイントを言語化することで、技能のデジタル化が促進される。AI技術は技能継承の表出化を支援する役割を担える。
課題2:属人的な継承の限界
技能継承の多くはOJTに依存している。だが、これには指導者の負担が大きく、新人の習熟度にばらつきが生じやすい。従来の技能継承は“師弟関係”や“現場の経験”に依存することが多く、指導者のスタイルや判断基準に影響を受ける。そのため同じ企業や工場でも、指導者ごとに技能の伝え方が異なり、統一的な継承が難しくなる。特に、熟練者の退職後に技能の標準化が不十分である場合、継承が途絶えてしまうリスクが高い。
課題3:指導リソースの不足
熟練者の数が減少する中、一人の指導者が複数の新人を育成することになり、“教育の質”の低下が懸念される。さらに、技能習得には時間がかかるため、短期間での即戦力化が求められる現場では、十分な指導時間を確保することが難しい。
このような課題を解決する手段の1つとして、AI技術の活用が注目されている。AI技術は、人間の技能を代替するのではなく、技能の記録・分析・フィードバックを通じて継承を支援する役割を担える。
例えば、LLMを活用すれば、熟練者の作業をテキストや動画で自動記録し、体系化されたナレッジとしての蓄積が可能になる。音声認識技術と組み合わせれば、現場での対話や判断プロセスを記録し、学習者にフィードバックを提供することで、熟練者の負担を軽減しながら技能習得の効率を高められる。
ただし限界もある。経験に基づく直感的な判断や、状況に応じた柔軟な対応は、現在のAI技術では再現が難しい。そのためAI技術は、技能を支援するツールとして活用し、人間の判断と組み合わせることが重要である。
技能継承に向けた人とAIの役割分担が重要に
技能継承において、AI技術は“支援者”としての役割を果たし、人間と協力しながら継承を支援するのが理想的である。以下では、人間とAI技術の役割分担を明確にし、それぞれの強みを活かした活用のあり方を考察してみる。
まず、人間が担うべき役割において、人間の強みは、単なる知識の伝達だけでなく、状況に応じた判断や創造的思考を含む点にある。特に、技能の本質を理解し、個別の状況に応じた柔軟な判断を下すことは、熟練者だからこそ可能な部分だ。既存のマニュアルにはない新たな問題に対処するための応用力は、現時点のAI技術では再現が難しい。
加えて、AI技術が生成した学習コンテンツやフィードバックについて、それらを現場で適用可能かどうかを判断し、最適な形に修正する役割も人間が担うべきである。AI技術が作業の誤差を検出したとしても、それが本当に修正すべき誤差なのか、許容範囲内なのかを判断するのは、熟練者の経験と知識に基づくものだからだ。
一方でAI技術は技能継承を補助する役割を担う。AI技術の強みは、知識の整理・検索・最適化にある。大量のデータを迅速に処理し、適切な情報を提供する能力に長けている。これはSECIモデルの連結化プロセスに対応する。
例えば、LLMやRAGを活用すれば、異なる業務プロセスや熟練者の知見を統合し、新しい作業マニュアルやトレーニングコンテンツとしての体系化が可能になる。学習者が実践を通じて知識を身につけることで内面化が進み、暗黙知として体得される。AI技術は技能継承のプロセスを加速させる役割を担っているわけだ。
AI技術はまた、学習者の進捗を分析し、それぞれの理解度に応じたトレーニングプランを提供できる。個々の学習者の弱点を特定し、重点的にトレーニングすることで、より短期間でのスキル向上が可能になる。画像解析やセンサーデータを基に作業の誤差をリアルタイムで検出すれば、熟練者が気づかない細かなミスも指摘でき、作業の精度向上を支援できる。
人間とAI技術が、それぞれの強みを活かしながら協働することで、技能継承の課題を克服し、より持続的な知識伝達の仕組みを築ける。例えば、AI技術が過去の作業データを分析し最適な手順を提示する一方で、人間がその手順を現場に適用し微調整することで技能の精度と効率が高まる。
重要なのは、AI技術を“指導者”にするのではなく“支援者”として活用することだ。AI技術が持つデータ処理能力と、人間が持つ経験や判断を組み合わせることで、より高度な技能継承を実現できるのではないだろうか。
繰り返すが、技能継承におけるAI技術の役割は、人間の技能の“代替”ではなく、人間の技能と組み合わせた“継承支援”にある。適切な役割分担の下、AI技術を活用することで、技能継承の効率を高めるとともに、熟練者の負担を軽減し、組織全体の知識共有を促進できる。
次回からは、具体的な業界事例や実際のAI技術の活用方法を深掘りしながら、技能継承の新たな可能性を探っていく。
西岡 千尋(にしおか・ちひろ)
アビームコンサルティング 執行役員・プリンシパル AI Leapセクター長。コンサルティングファームのマネジングディレクター、チャットボット開発企業のCDO(最高デジタル責任者)を経て、アビームコンサルティングに入社。テクノロジーとイノベーションによる社会貢献を進めるとともに、クライアント企業のDXやデータドリブン経営の実現を支援する。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士。
滝本 真(たきもと・まこと)
アビームコンサルティング AI Leapセクター シニアマネージャー。大手通信会社においてプロダクトやサービスの企画・デザイン経験を積み、デザインコンサルにてUXデザインを活用した事業・サービス企画に従事。その後、戦略コンサルにおいてデザインを取り入れた戦略策定などを実施。アビームコンサルティング入社後はデザイン×ビジネス×テクノロジーの観点から、事業戦略立案からエグゼキューションまで一貫した支援を推進。iF DESIGN AWARD、Red Dot Design Award、HCD-Net AWARDなど受賞多数。HCD-Net認定 人間中心設計専門家。