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  • AI協働時代の技能継承のカタチ〜技と知を未来につなぐために〜

医療業界における技能継承とAI活用【第7回】

西岡 千尋、宮本 潤、山本 蓉巳、宇野 めぐみ(アビームコンサルティング AI Leapセクター)
2025年12月15日

前回から、AI(人工知能)協働時代における技能継承のあり方を業務領域ごとに紐解いている。前回はデザイン業界のデザイナーに焦点を当てた。今回は、社会的使命が大きく、かつ技能継承の難易度が高い医療業務に焦点を当てる。特に、専門分化やチーム医療の複雑化、医療DX(デジタルトランスフォーメーション)による情報分断という構造的な課題に対し、AI技術が、どのように寄与できるのかを考えていく。

 医療現場では、ベテラン医師の経験知や暗黙知が診断・治療の質を支えている。だが、その継承は制度的・文化的な制約により困難を極めている。人口減少や高齢化による人材不足、働き方改革による情報共有機会の減少、患者の情報リテラシー向上による説明責任の増大など、複合的な要因が技能継承を阻んでいる。

 これらの課題に対し、AI(人工知能)技術の進展が解決策をもたらしつつある。診断支援だけでなく、医師の思考プロセスを可視化するノウハウ抽出、患者・チームとの対話を支えるコミュニケーション補助など、多様なアプローチが可能になってきた。医療業務の質と持続性を高め、未来へ継承する道を開いている。

医療現場における技能継承の課題・背景

医療現場に息づく暗黙知は長年の経験が形成した“資産”
 日本の医療現場は今、上述したように、構造的な転換期を迎えている。そうした構造転換のなかでは“経験や勘”といった暗黙知の継承がますます難しくなっている。

 第1の要因は人材不足である。少子高齢化に伴い医師・看護師・薬剤師・理学/作業療法士・臨床検査技師などの医療従事者の確保が年々難しくなっている。現場ではベテランの退職と若手不足が同時進行している。これまで“背中を見て学ぶ”ことで受け継がれてきた技能や判断力が、次の世代に十分に伝わらないままに失われていくリスクが現実味を帯びている。

 実際には医師の数は年々増加している(図1)。にもかかわらず「医師不足」と言われる背景には、人数の問題ではなく、地域や診療科の偏り、働き方の変化による需給バランスの崩れがある。つまり、必要な現場に必要な医師が十分に届かないという“構造的な偏在”こそが問題の核心だ。

図1:医師数の推移(『令和5年度版厚生労働白書』より引用」

 第2の要因は、いわゆる「2024年問題」として注目される医師の働き方改革である。長時間労働の是正や、医師の業務を他職種に移管するタスクシフトによる負荷分散が進む中で、若手医師や研修医が現場で症例を経験し、熟練者の判断や勘所を間近で学ぶ機会が減っている。教育・指導の時間が削られた結果、技能継承の“場”そのものが失われつつある。

 第3の要因は、診療科や職種の専門分化と、医療DX(デジタルトランスフォーメーション)の進展による情報の分断だ。診療が専門分化され、それぞれのデータは電子カルテやシステム上で管理されるようになった。その一方で「誰が、どのような根拠で判断したのか」が共有しづらくなっている。マニュアルでは対処し切れない“100人いれば100通り”の患者に対応するためには、こうした分断を越えた知の連携が不可欠である。

医療現場に息づく暗黙知は長年の経験が形成した“資産”

 医療現場には、マニュアルでは定義し切れない“見えない知”が息づいている。患者の表情や声の調子、検査値の揺らぎなどから異変を察知する感覚、あるいはチーム内の空気を読んで最適な動きを取る判断力だ。こうした暗黙知は、長年の経験を通じて形成された医療現場の“資産”である。

 しかし、医師の働き方改革によるタスクシフトや、医療従事者の減少、専門分化の進展によって、その資産が次世代へ十分に伝わらないまま失われつつある。医療現場は今、知の継承において危機に直面していると言える。

 一方で、これらの構造的課題に対しAI技術の進化が解決策をもたらしつつある。画像・音声・生体データの解析により、人が捉え切れなかった兆候や相関関係を補完的に提示できるようになってきた。暗黙知を置き換えるのではなく、人とAIシステムが互いの強みを活かしながら、経験と推論を再構築することで、医療分野での技能継承に新しい地平が拓かれようとしている。対象技能の別に見ていこう。