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- AI協働時代の技能継承のカタチ〜技と知を未来につなぐために〜
医療業界における技能継承とAI活用【第7回】
診断・治療判断の継承:臨床推論を “知の可視化”が再構築する
診断や治療判断は、医療における最も高度な知的技能である。患者の訴えや検査値、既往、生活背景などを瞬時に統合し「何が起きているのか」「次に何をすべきか」を導き出す。臨床推論のプロセスこそが、医師の経験と洞察の結晶であり、医療現場で最も継承が難しい暗黙知の1つだ。
AI技術の進化は、この“考える技能”の継承に新しい可能性をもたらしている。過去の症例データを解析し、医師が、どの情報を重視し、どの順に判断したのかをモデル化することで、人の思考過程そのものを可視化できるようになりつつある。
これにより若手医師に対し「何を見て、どう考えるか」を体系的に学べる環境が整ってきている。たとえば脳神経内科では、熟練医が“違和感”を覚える微細な言語の詰まりや歩行の乱れをAI技術がデータとして捉え、再現することが可能になってきた。その判断の背景をAI技術が言語化し、説明可能な形で提示できれば、臨床推論は“感覚に頼る技”から“共有できる知”へと変わる。
重要なのは、AI技術が診断を代行することではない。AI技術は、熟練医が積み上げた判断知を“拡張する存在”として機能し、経験を組織的に継承する新たなプラットフォームを生み出していくのである。
コミュニケーションと説明責任の継承:対話と知の共有を支える
医療の信頼は、診断の正確さだけでなく“伝え方”によっても左右される。特に腫瘍内科や遺伝カウンセリングでは、治療方針や遺伝リスクといった人生の岐路に関わる情報を、患者や家族にどう伝えるかが極めて重要だ。
その説明の背景には、専門知識以上に“相手の理解度を察知する力”や“感情の揺れを受け止める姿勢”といった暗黙知が存在している。こうした対話の技能は、これまで医師やカウンセラーの経験に依存してきた。
一方で、AI技術の活用が進む今“伝える力”の継承にも新しい可能性が生まれている。例えば、AI技術が診療記録やカウンセリング音声を解析し「どの言葉で患者が不安を示したか」「どの説明で理解が深まったか」を可視化できる。この“対話データの知識化”により、熟練医やカウンセラーの説明プロセスが教育可能な形で蓄積される。
さらに、生成AI技術を用いた説明支援も進んでいる。専門用語を患者の理解レベルに合わせて平易な言葉へ置き換えたり、治療方針の選択肢を中立的に提示したりすることで、医師の説明を補助する仕組みである。その生成内容を医師が監修し、修正しながら対話に活用することで、AI技術は“情報の翻訳者”から“信頼形成の補助者”へと役割を変えていく。
そこでのAI技術は、人間の共感力を代替するのではなく、対話を記録・学習・分析することで、医療者自身が自らのコミュニケーションを振り返り、磨いていく機会を生みだす。それは、医療現場の「説明責任」を組織的に支える知の継承でもある。このAI技術と人間の協働が、これからの医療コミュニケーションの新しい基盤になるだろう。
チーム医療と連携の継承:AIが“共創知”支える
現代医療は、もはや一人の医師の技量だけで成り立つものではない。診療、看護、薬剤、リハビリ、栄養、心理など多職種が連携するチーム医療が当たり前の時代である。しかし、分業が進むほど「誰が何をどう判断したか」が見えにくくなり、連携の“暗黙知”が失われつつある。
それは医療の質だけでなく、安全や教育にも直結する課題だ。熟練したチームでは、言葉を交わさなくても動きが合い、表情や手の動きだけで意図が伝わる。こうした連携は、長い経験と信頼の積み重ねで培われた“関係の知”である。しかし、分業の進展に加え、異動や退職などによってメンバーが入れ替わる現場では、その連携の“空気”がリセットされることも多い。
まさにここにAI技術が新しい役割を果たし始めている。例えば、カンファレンスの議事録や電子カルテの記述をAI技術が解析し、チーム内での情報の流れや判断の偏りを可視化する。あるいは、看護記録や指示出しの履歴を学習し「どのタイミングで誰が動いたか」を再現するなどだ。
これらにより、属人的に形成されてきた連携プロセスを“共有可能な知”として残せる。さらに生成AI技術は、多職種カンファレンスを要約し、意思決定の背景やリスク議論の文書化も可能にする。それは単なる記録ではなく「どう考え、どう合意したか」を後から学び直せる“チーム知のアーカイブ”になる。AIシステムが介在することで、チーム医療は“情報の共有”から“思考の共有”へと進化する。
“知”をつなぎ医療の持続可能性を高めるインフラに
このようにAI技術は、単なる効率化の道具ではなく、人と人の“知”をつなぐ役割を担い始めている。医師・看護師などの多職種や患者との間に横たわる“知の断絶”を橋渡し、情報を共有可能な形に変える。ベテラン医師の思考や判断プロセスを学び、若手が参照できる“動的な集合知”として構造化することで、さまざまな経験が個人の記憶からチーム全体の資産へと転化していく。
既にAI技術を用いた画像診断支援や臨床推論補助、ケースカンファレンスの高度化など、個別領域での活用は着実に広がりつつある(図2)。しかし、医療提供体制の高度化という観点からは、これらの点的な活用にとどまらず、患者一人ひとりを継続的かつ包括的にマネジメントする「統合型AI基盤」の構築が重要になる。
診療履歴や検査データ、生活情報を横断的に結び付ければ、同じ病でも異なる最適解を提示できるようになる。それは、医療を画一的な手順から解放し、患者一人ひとりに最適化された治療の実現につながる。具体的には、ケアの質の均てん化、医療資源の最適配分、医師の業務負担軽減を同時に実現することが期待される。
人とAI技術が共に過去の判断を学び、次の連携を設計する。そのプロセスが医療連携を支える新しい技能継承の形になる。AI技術は、単なる支援ツールではなく、医療の持続可能性を支える新しいインフラへと進化しつつある。
西岡 千尋(にしおか・ちひろ)
アビームコンサルティング 執行役員・プリンシパル AI Leapセクター長。コンサルティングファームのマネジングディレクター、チャットボット開発企業のCDO(最高デジタル責任者)を経て、アビームコンサルティングに入社。テクノロジーとイノベーションによる社会貢献を進めるとともに、クライアント企業のDXやデータドリブン経営の実現を支援する。慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修士。
宮本 潤(みやもと・じゅん)
アビームコンサルティング AI Leapセクター ダイレクター。AIサービス構想やデジタルプラットフォーム戦略を専門とし、ビジネスインパクトとソーシャルインパクトの創出をテーマに、コンサルティング組織を牽引。新規事業・サービスの構想策定からローンチ後のマーケティング戦略まで一貫して支援。MaaSや地方創生、プラットフォーム事業の企画・立ち上げ、アライアンス推進に関するプロジェクト経験多数。製造業、保険業、ITベンダーなど幅広い業界での事業支援実績を有する。順天堂大学 GAUDIにて「AIを活用した医師の働き方改革実現講座」をテーマに共同研究講座をリード。
山本 蓉巳(やまもと・ゆみ)
アビームコンサルティング AI Leapセクター マネージャー。人間中心設計専門家。商社・製造・航空・自動車・ヘルスケアなど幅広い業界において経営指標に沿ったDX改革、SCM改革を戦略策定から実行支援まで一貫して支援。ESG経営、自動車、航空領域におけるプラットフォーム事業の企画や、テクノロジーを活用したDX戦略策定、業務改革の実績を多数有する。現在は、順天堂大学との共同研究講座「AIを活用した医師の働き方改革実現講座」でのビジネス企画と医学研究科修士課程での研究活動に取り組む。
宇野 めぐみ(うの・めぐみ)
アビームコンサルティング AI Leapセクター マネージャー。商社・不動産をはじめとした多様な業界で、テクノロジー活用を組み込んだ業務設計やプロジェクトマネジメントを多数経験。ESG経営領域にも知見を持ち、非財務情報を経営管理へ活用する取り組みを支援。企業の生成AI活用推進支援や新規サービスの企画にも幅広い経験を有する。現在は、順天堂大学との共同研究講座「AIを活用した医師の働き方改革実現講座」においてサービス企画に従事し、医療現場における実装性の高いソリューション創出に取り組む。
