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そもそも全ての企業が変革しなければならないのか、直感 VS 合理の経営の間で【第8回】

DXの根本的な部分に納得していないあなたへ

磯村 哲(DXストラテジスト)
2025年10月31日

変革に乗り気でないのは変革に渇望していないから

 いかがでしょう。それなりに説得力を感じられるのではないでしょうか?この経営者は、大きな知識不足という訳でも、論理が破綻している訳でもありません。真剣にビジネスを考えており。極端に視野が狭いとか視座が低いとかということもなさそうです。経営者が、こう思うなら、これで問題はありません。

 しかし、もし彼の考えに何かが不足しているとすれば、それは何なのでしょう。DXという文脈で考えるとき、筆者には根本的に何かすれ違っているものがあるように見えます。それは“変革への渇望感”です。

 上述の論調は、あたかも変革の必要性を論じているように見えて、実は“変革しない理由”を探しています。可能な限り現状を維持しながら、どうしても変えなければならないポイントを探し出したうえで「やはりDXは不要なのだ」と結論付けたがっているように見えます。あるいは、どうしても否定し切れないときだけ渋々変革プランを立てようとしています。

 この思考パターンにある限り、あらゆる変革はうまくいかないでしょう。筆者は「変革とは“漠然とした空気感”から始まるものだ」と考えています。「このままではダメなのではないか」という危機感であったり「もっと何かできるかもしれない」という期待感であったりするにしても、具体的なポイントから始まるのではありません。むしろ、まず変革への意思があり、後からポイントが具体的になってくるものなのです。

 その変革への意思が、どこから来るのかは分かりません。正解か不正解かも分かりません。これまで複数の経営者とDXを推進したり、他社の経営者やDX推進担当者らと情報を交換してきたりという経験から言えば、経営者は、そういった“嗅覚”のような漠然とした根拠を頼りに行動を起こすことがあるということです。情報が十分に出揃ってから決断して間に合うようなビジネスが存在しないからこそ、そうした直感のようなものが求められるのです。その感覚に対し、賛否両論で多面的に議論できるだけのダイバーシティの大きな経営陣が必要なのです。

 経営者の直観から始まり、経営陣での議論を経た結果として、ぼんやりとした方向でも「変革が必要だ」となったときに具体的な検討が始まります。各論は、経営陣のイメージに合うものもあれば、具体化してみるとイメージに合わないものもあるでしょう。これは正しいステップです。なぜなら、顧客が何を欲しているかを言語化できないからこそデザイン思考が市民権を得たように、変革もまた、アイデアを具体化できないと経営陣は判断できないからです。

 ただし、その判断基準が現業と同じではうまくいきません。『イノベーションのジレンマ』(クレイトン・クリステンセン、1997)における新規事業と同様に、変革への意思を判断基準に織り込まなければならないのです。

 こうした視点から、上述した製造業の経営者の独白を読み返せば、彼の姿勢がことごとく受け身であることが分かるでしょう。そこには差し迫る危機感も、好機への貪欲さも見られません。やるべきことも、やりたいことも感じられず、ただVUCAの状況下での経営に当惑が見られるだけです。

リスクを負ってまで挑戦すべきことがなければ変革は起きない

 しかし、繰り返しますが、経営者がそう思うなら、それはそれで良いのです。経営とは必ず変革を伴うものではありません。変革をするにしても、そのタイミングは今ではないかもしれません。あるいは変革に前向きであったとしても気を付けるべきこともあります。経営者自身は、変革を推進していると思っていても実際にはブレーキを踏んでいる場合があるということです。

 変革というものは、要素が連動する多面的なものです。そのため細かな制御ができず「望むところだけを変えて他はそのまま」という形にはならないことが多々あります。思い通りにならない部分を全て止め、局所的な改善を望むとすれば、それは全体としては変革を止める側に回ってしまっていることになります。

 もちろん、本当に大切なことは保持しなければなりません。それが脅かされるなら変革活動全体を止めることも必要です。例えば、人事制度を変えるのに報酬制度はそのままという変革が不可能なことは自明です。ですが、そうした要素の連関は至る所に存在し、全ての影響を事前には見通せません。変革活動が経営者の予想とは異なってきたとき、最も大切なことのみを確実に優先し、些事のコントロールを一部は放棄しなければ、変革は前に進まないでしょう。

 こうした状況を想定した結果、変革に踏み切れない経営者がいるのも頷けます。やりたいことがあっても、その副作用から混乱が拡大し、オペレーションが破綻するリスクは確かに存在します。そのリスクを負ってまで挑戦すべきことがなければ、変革の思いを封印するのも有力な選択肢の1つです。

 変革を推進する理由が根拠のない嗅覚にあり、変革をしない理由がリスクマネジメントだとすれば、変革に着手しないことは合理的な判断だといえるでしょう。だからこそ、合理的な経営者が、会社存続の危機が訪れない限り、本格的なDXに手を出さないというのは正しい判断の1つです。

 このように考えれば、変革のキーワードは「嗅覚vs 合理」になるのかもしれません。ただ、会社を興すような人が合理的でないのは明らかです。確率的に大半は失敗しますし、ある程度成功してもサラリーマンの生涯収入を超えるとも限りません。合理的に考えれば、会社員を選択するでしょう。それにも関わらず人は、なぜ起業するのでしょうか。

 その理由は、さまざまにあるのでしょうが、その理由と会社を変革したい理由には、きっと共通点があるはずです。経営学者のヘンリー・ミンツバーグ氏が挙げるマネジャーの10の役割の1つに「起業家」がありますが、同氏の指摘は、この文脈にも当てはまります。つまり、徹頭徹尾合理的であることが経営者の役割とは限らず、それ以外の何かに基づいて行動することは決して否定されないということです。

閉鎖空間では嗅覚が機能するための匂いの元が届かなくなる

 何度か「経営者がこう思うならこれで良いのです」と繰り返してきました。ここでの「こう思う」は、変革に前向きではないという話でもあり、嗅覚よりも合理性を重視するという話でもあります。会社経営に正解がない以上、経営者としての信念とステークホルダーの要請の中から何らかの方針を決めねばなりません。その結果として、変革のリスクを大きく見積もったり合理性を徹底したりすることは普通にあり得ます。

 自社の経営陣がDXに取り組まないのは「意識が低いから」「不勉強だから」と決めつけるのは非常に危険です。十分に知識を備え議論を重ねた経営陣であっても「DXに取り組まない」という結論に至り得るからです。重要なのは、その結論に至る前提であり過程です。冒頭の経営者の独白は少し深みが足りなかったかもしれませんが、もし真剣な検討の末に反DX的な方針が採用されたならば、それは全社を挙げて遂行すべき会社の決断なのです。

 1つ懸念があるとすれば、似たような人々に囲まれて仕事をしていると、嗅覚を発揮しようにも社会の空気が届かない点です。ソクラテスの言う“無知の知”、すなわち「自分には知らないことが多くある」という感覚は、毎日が重要案件と折衝で埋め尽くされていくにつれ、知らず知らずのうちに存在感を減じていきます。本来は感度の高い臭覚を有していたとしても、匂いの元が届かないといったルーチンに入り込んでしまうことは、恐ろしいですし、もったいないと思います。

 それを回避するには空気の入れ替えが重要です。ビジネス書を読んだり、会社を離れてイベントに参加したりすることは効果があるでしょう。社外取締役や中途採用者も外部の価値観を提供してくれます。そうやって十分に新鮮な空気を堪能した後に、経営者が「こう思う」なら、それで良いのです。

磯村 哲(いそむら・てつ)

DXストラテジスト。大手化学企業の研究、新規事業を経て、2017年から本格的にDXに着手。中堅製薬企業のDX責任者を務めた後、現在は大手化学企業でDXに従事する。専門はDX戦略、データサイエンス/AI、デジタルビジネスモデル、デジタル人材育成。個人的な関心はDXの形式知化であり、『DXの教養』(インプレス、共著)や『機械学習プロジェクトキャンバス』(主著者)、『DXスキルツリー』(同)がある。DX戦略アカデミー代表。