- Column
- 今こそ問い直したいDXの本質
そもそも全ての企業が変革しなければならないのか、直感 VS 合理の経営の間で【第8回】
DXの根本的な部分に納得していないあなたへ

前回まで、DX(デジタルトランスフォーメーション)の本質とは何かからスタートし、それが“長い長い”変革に向けた取り組みであり、そのためには“変化し続ける能力”が求められ、なかでも「デジタルを機会と見做すマインドセット」すなわち「digital attitude/openness」が重要だとの考えに至り、想定問答にも答えました。しかし「変革が必要だ」という視点からの考察は、みなさんの心までは動かせないかもしれません。そこで今回は“反DX”な経営者の立場からDXを考えてみたいと思います。
DX(デジタルトランスフォーメーション)に否定的な経営者は、DXをどのように捉えているのでしょうか。架空の製造業の経営者をイメージしてみれば、次のように考えているのかもしれません。
DXに否定的な製造業の経営者の独白
経営者としてDXを考えてみれば、それは“計算できない活動”に映る。DXへ取り組み、うまくいった事例は散見されるものの総じて「DXが企業の業績を上向かせた」のか「好業績の企業がDXに取り組んでいるのか」の因果関係は判然としない。
費用対効果の説明が詳しく語られないのも、引っかかる。“戦略投資”といえば聞こえはいいが、要するに根拠なく「DXに賭けねばならない」と迫られているに過ぎない。しかも先行した有名企業のなかには手痛い失敗をしているところもあり、確実な成功への道筋は見えないわけだ。
確かにDXは時代を捉えてはいるものの、トレンドは、それだけではない。「21世紀は〇〇の時代」というキャッチコピーが、どれだけあるのだろうか。環境や水、宇宙、高齢化、テロ、アジア、アフリカなどなど。他にも数えきれないほどだ。どれも戦略投資に値する重要事項であり、ことさらDXに注力しなければならない理由は何なのか。
とはいえ気になっている。だからDXをある程度は勉強した。その方向感は、おおよそ3種類に分けられそうだ。(1)デジタル技術による効率化、(2)デジタルを用いた新規事業、(3)デジタル方面へのビジネス転換である。
効率化には、もちろん取り組む。DX以前から、製造の自動化装置やオフショア委託など、さまざまな効率化に取り組んできた。今後も、DXを含めて当たり前に続ける。
デジタルによる新規事業は、売り上げも小さく参入障壁も低いので、ビジネスとしては、あまり筋が良くないように見える。実際、世間を見渡しても、GAFA(Google、Amazon.com、Facebook:現Meta、Apple)など、ごく少数の企業だけが目覚ましい成功を遂げており、平均的には、あまり旨味がない。
数人で会社を立ち上げ、時価総額が上がったところで売り抜けるなら個人としては金持ちになれるだろうが、それは顧客に価値を提供するというビジネスの本来の姿ではない。
デジタル方面へのビジネス転換は、どうにも違和感がある。耐久消費財が典型的だが、これまでは“手離れの良さ”を重視し、できるだけアフターサービスの負担を減らしたり、子会社に切り出したりしてきた。デジタルになって顧客接点を維持するコストが下がるのは分かるが、だからといって真逆に振って“顧客と関係を持ち続ける”というビジネスをメインに業態転換するのが本当に未来の理想形なのだろうか。
米GE(General Electric)ですら、その賭けに負けたところを見ると、あくまでモノを中心としたビジネスが結局は有利なのではないだろうか。あのAppleだって売り上げのかなりの割合はモノだと聞いている。
ただ気になるのはデータとAI(人工知能)技術である。AI技術は、効率化に関してはもちろん有用だろうが、それ以上に、どこに役立つのだろうか。
例えば生成AI技術を使ったチャットサービス「ChatGPT」(米OpenAI製)がアイデアを素早く出したり、機械学習が売り上げを予測したりするのは、経営者である自分からすれば、部下の仕事の効率化にしか見えない。それ以上に経営に直接関わるような何かがあるのだろうか。たまに出かけるイベントではダッシュボードが鼻高々に宣伝されるが、1990年代にも話題になったものの廃れていった当時のダッシュボードと本質的に何が違うというのか。
DXの説明の序盤では「社会がこれまでにない速度で変化している」と必ず言われる。だが、それは、そもそも本当なのだろうか。高度経済成長期と比べて本当に社会の変化は速いのか。冷戦が終結して東西の交流が始まったときほどのダイナミズムはあるのか。バブル景気とその崩壊のような経済の激動は感じられないのではないか。
ガラケーがスマートフォンに変わり、確かにハードウェアもソフトウェアも海外製の存在感が圧倒的になった。だが、それは繊維や家電でも過去にあったような特定の産業内の話であって、社会の変化というのは言い過ぎなのではないだろうか。
だから自分は「DXに懐疑的」というよりも「DXは誇大広告」というか、さまざまなものがごちゃまぜになってしまっており、賛成とか反対とか言えないような代物になっている気がする。
個別には良いアイデアも悪いアイデアもあるため、もちろん自分が判断しよう。その意味では、DXという言葉を冠しているだけでは全てに「GO」は出せない。スピード感を持ちつつも、あくまで是々非々という基本に則るのが本来の姿だろう。