- Column
- 今こそ問い直したいDXの本質
製造業のDXはなぜ進まないのか【第12回】
製造業のビジネスとデジタルが結び付かないあなたへ
製造業の中にも“無形”のプロセスは存在する
製造業のDXについて、製造業と大雑把に一括りにすると「思ったより難しい」という話で終わってしまいますが、もう少し掘り下げてみましょう。というのも、仮にDXの本質が“有形”か“無形”かにあるならば、製造業の中にも“無形”のプロセスはたくさんあり、そこへの影響は大きい可能性があるからです。
製造業のエンジニアリングチェーンを考えてみます。商品企画や研究開発、スケールアップなどは全て情報、すなわち“無形”を生み出すプロセスです(図1)。例えば製品開発では、あるコンセプトが実際に機能するか試作してみる必要があります。しかし試作という物理世界の作業は、あくまで手段の1つであって、本質的にはそのコンセプトが正しいかどうかを証明できれば十分です。
ですので、もし精緻なモデルがコンピューター上に再現できる、あるいは、そのモデルをVR(Virtual Reality:仮想現実)やAR(Augment Reality:拡張現実)で体感できるなら、本質的には物理世界を経由する必要はありません。
であればエンジニアリングチェーンは、Digital Vortexの内側に位置する破壊的なDXの対象になり得ます。一部業界では既にモデルベース開発(MBD:Model Based Development)が主流になっているように、エンジニアリングチェーンの大部分はデジタル化されるでしょう。その結果としてAI技術に強い他産業やスタートアップに脅かされる可能性があります。
これに対しサプライチェーンでは、実際に原料を調達し、製造し、運ばなければならないため、価値の本質は物理世界にあります。製造業が物流業や建設業と共にDigital Vortexの外側に配置されているのは、この側面からでしょう。
またRetailがDigital Vortexの上位に位置するなら、BtoB産業におけるマーケティング&セールスが脅かされないはずはありません。マーケティング&セールスはコミュニケーションを通じて購買を促す営みであり、本質的には無形です。個々の製品情報の提供はもちろん、サンプルを提供して試用してもらうプロセスすらデジタル化できる可能性があります。
これまで人と人の温かいコミュニケーションが重要だと思われてきた多くの産業やプロセスが、その常識を覆されている今、BtoBの営業活動のみが、その例外になる理由はないのではないでしょうか。
バックオフィスの多くが無形なのも忘れてはいけない点です。経理や法務はもちろん、人事や知的財産管理、購買も当てはまるでしょう。これらの業務は、無形であるという理由でデジタル化しやすいだけでなく、非競争領域のプロセスは各社で標準化しようという動きもあり、その気になれば大半がデジタルに破壊されてしまうかもしれません。
エンジニアリングチェーンやマーケティング&セールスもそうですが、方針を決める人間は必要なものの、オペレーションがどれだけ人間に残されるかには懐疑的です。
製造プロセスに含まれる無形の価値を見極めよ
そもそも製造プロセスですら、本当に“有形”なのでしょうか。例えば米Appleは工場を持ちませんが、製造プロセスを熟知しており製造の委託先には高い品質を求めることで有名です。自動車産業も、自社で製造していない部品についても相当な知識を持ちサプライチェーンを厳しく管理しています。
このような、ファブレスな製造エコシステムや長いサプライチェーンをコントロールしているのが“無形”の知的財産であることを考えれば、それらがコンピューターで再現される可能性は十分にあるでしょう。
そうなると「そもそも製造業とは何か」から問い始める必要があります。先に挙げたような無形のプロセス、つまり企画・設計・マーケティング・セールス・バックオフィス・製造ノウハウは全てデジタルの得意な企業が支配し、物理層のオペレーションのみが残されたとき、製造を旨とする企業はデジタルによる破壊を免れたとして喜ぶべきなのでしょうか。
かつて「AIが仕事を奪う」と騒ぎになったとき、やがて明らかになったのは、AI技術が奪うのは「ジョブ(ポジション)」ではなく「タスク(個々の作業)」だということでした。同様に、デジタルが破壊するのも企業そのものではなく、個々のプロセスかもしれません。AI技術にタスクを奪われジョブの価値が変化したように、プロセスがデジタルに破壊されれば企業の価値も変化するでしょう。
デジタルの進展の文脈ではしばしば「業界のボーダーレス化」「業界の再定義」が叫ばれます。FintechでIT企業が金融サービスを提供する、Edtechで教育のあり方が再考されるといった具合です。
しかし製造業など“有形”なプロセスを担う業界では、ボーダーレス化や再定義ではなく“削ぎ落し”と呼ぶ方が相応しい可能性があると考えます。これまで製造業が担ってきた活動のうち“無形”の部分が次々と剥ぎ取られ“有形”のプロセスのみが残した骸骨のようになる姿です。
それが自らの発意によるものであれば、贅肉を落とした骨太で筋肉質な会社として繁栄を享受するでしょう。しかしアマゾン川に落ちてピラニアに食われたように骨だけになってしまうなら、それは嬉しい姿とは程遠いのではないでしょうか。
ですから、Digital Vortexの渦から遠ざかったことを見て安心しているべきではありません。渦の中心で起こっていることの本質を見極めなければ、総体としての製造業は温存されたとしても、その魅力が大きく損なわれるシナリオがあり得ると懸念しています。
磯村 哲(いそむら・てつ)
DXストラテジスト。大手化学企業の研究、新規事業を経て、2017年から本格的にDXに着手。中堅製薬企業のDX責任者を務めた後、現在は大手化学企業でDXに従事する。専門はDX戦略、データサイエンス/AI、デジタルビジネスモデル、デジタル人材育成。個人的な関心はDXの形式知化であり、『DXの教養』(インプレス、共著)や『機械学習プロジェクトキャンバス』(主著者)、『DXスキルツリー』(同)がある。DX戦略アカデミー代表。
