- Column
- 今こそ問い直したいDXの本質
そもそもデータは共有したほうが良いのか【第21回】
データの重要性がいまひとつ腑に落ちないあなたへ
データが増えればDIKWピラミッドは成長する
冒頭で触れたように“データ”とは、整理しない限り人間には意味の分からない数値の羅列などを指します。例えば、各商品の売上数量と日時が延々と並んでいるデータを想像してください。これだけでは何の役にも立たず、曜日別や時間別、商品カテゴリ別などに整理・可視化して初めて傾向がつかめます。この段階が“情報”です。
そうした情報が集まって、例えば「ある気温を超えればアイスクリームが売れる」といった知見が得られたときに、それが“知識”になるのです。
これまで、人間が扱えるデータ量には限界がありました。そのため、データを整理して解釈可能な状態にした情報を共有するのが合理的でした。DIKWピラミッドにおいて上にいくほど価値が増大するとされているのは、そういう理由からです。しかしデータを扱う、さまざまな技術が登場し、量・種類・リテラシーのいずれの面でもデータが扱いやすくなった結果、データの共有が簡単になってきたのです。
そうなると、誰かが整理して見やすくしてくれた情報は、データに元々あった価値の一部が削り取られている、すなわち属人的な整理のデメリットが目立つようになりました。だからこそ「データ共有」が叫ばれているのです。
では、技術革新とデータ共有は、どういう関係にあるのでしょうか。共有されたデータは、どう活用されるのでしょうか。端的に言えば、データが増えればDIKWモデルのピラミッドは肥え太ります。ピラミッドの底辺が大きくなることで、得られる情報も増え、知識が増大し、知恵が磨かれるというわけです(図2)。
しかし残念ながら、データが増えると人間の許容量を超えてしまいます。それをAI(人工知能)技術などデジタルの力を借りることで補い、最終的な意思決定の精度や速度を高めようとしているのです。
DIKWピラミッドはいくつあれば良いのか?
ここで重要なのは、DIKWピラミッドを“誰が”活用しているのかです。企業のスタッフ全員が1つのピラミッドを機能させているわけではないでしょう。DIKWピラミッドが最終的に意思決定に資するものである以上、意思決定の単位で活用されるはずだからです。大きな組織であれば大きなDIKWピラミッドが、小さなチームなら小さなDIKWピラミッドが形成されていることでしょう。
データや情報がサイロ化されているというのは、このDIKWピラミッドが各所に分散し、つながっていないことを意味します。その結果、それぞれのDIKWピラミッドはデータや情報が少なくて肥え太らず、知識の蓄積や、その活用のレベルが高まりません。
逆に、サイロを完全に壊し全社で1つのDIKWピラミッドを形成するという状態も考えられます。ですが実際には、あり得ないのではないでしょうか。なぜなら、組織内の各所は、それぞれが抱える問題を解決したいだけに、異なる知恵を基に異なる意思決定を下す必要があるからです。
筆者の理解では「データ共有」とは、DIKWピラミッドの底辺を共有し互いのDIKWピラミッドを肥え太らせようという活動になります。このとき、異なる組織でも扱えるようにデータに注釈を付けておくことで、サイロ化して完全に切れている訳でもなく、限られた目的のために完全に一体化している訳でもない“山脈”のような状態を目指します(図3)。
しかし、ここで浮かぶ別の疑問は「どの層まで共有すべきか」です。データのみなのか、情報までなのか、知識も共有できるのか。その正解を筆者は現時点では持ち合わせていませんが、もう少し「なぜデータが注目されるのか」を考えてみましょう。

