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- 今こそ問い直したいDXの本質
そもそもデータは意思決定の“根拠”になるのか【第20回】
データの重要性がいまひとつ腑に落ちないあなたへ

DX(デジタルトランスフォーメーション)の文脈では「データに基づく意思決定」や「データ駆動型」といった表現がよく見聞きされます。しかし、本当の意味でデータが主要な位置を占める意思決定プロセスを体感した人は、まだ少ないのではないでしょうか。ただ、そうしたデータに基づく意思決定の最前線の1つに医療の世界があります。
多くの分野には「この人が権威だ」と呼ばれる人が存在します。「その人が言うことなら間違いない」「その人の世界観を信じていればいい」と言われるような偉大な専門家たちです。
しかし、そうした専門家の意見が“エビデンス(evidence:根拠)”としては「最低レベルだ」とされる分野があります。医療の世界です。データが意思決定の“エビデンス”になるのかどうかを再確認するために、医療の世界での取り組みを見てみましょう。
専門家の意見は理屈だけでは覆らない
医療の世界のエビデンスには、さまざまな信頼度があります(図1)。複数の研究を分け隔てなく調査した結果が最も信頼度が高いとされます。個別の研究でも、二重盲検で偶然を排除した結果の方が、成り行きを観察したものより上とされます。
そうしたデータに基づく“根拠”は「専門家の意見より信頼できる」とするのが「科学的根拠に基づく医療(EBM:Evidence-Based Medicine)」です。しかし「専門家の意見よりもデータを信じるべきだ」というのは私たちにとって直感的ではありません。EBMも、さまざまな経験を経て浸透してきました。
理屈よりデータの例:ゼンメルワイスの産褥熱
有名な例に19世紀半ばの「ゼンメルワイスの産褥熱」の話があります。産褥熱は分娩時に高熱が出る感染症です。ただ当時「病原菌」という概念がなく、体の基礎体液のバランスが崩れることによるものだとされていました。それをハンガリー出身の医師であるゼンメルワイスが、クリニック間の差に着目し、解剖室から出てきた医師や学生が、そのまま診療しているクリニックでは死亡率が高いことに気付き、手を消毒すれば死亡率が激減することを見出したのです。
当時はEBMの概念がありません。それだけに新たな見解を説得するためには理論的な説明が必要です。しかし、病原菌という概念のない状態で「手洗いが死亡率を下げる」という理屈を組み立てるのは難しく、学説は広く受け入れらないままにゼンメルワイスは失意の死を迎えます。現在では彼は消毒法のパイオニアとして知られています。
理屈よりデータの例:内胸結紮
もう1つ一例を挙げます。1950年代のアメリカでの話です。当時、狭心症の治療には「内胸結紮(ないきょうけっさつ)」という手術が行われていました。内胸動脈をブロックすることで冠動脈への血流を改善する手法で、実際に効果のある手法でした。
しかし、ある医師が疑問に思い、偽の手術である「シャム手術」、この場合だと胸を切開するが結紮はしない手術と比較するデータを取ったところ、症状は同じように改善したのです。理論が美しく成果も上がっていた治療法が実は、患者の暗示効果などに由来するプラセボ効果だったというわけです。
