• Column
  • 現役DX責任者が挑むビジネスとデジタルの協働

複合企業グループの「神経系」となるデータ統合への決断【第1回】

秋田 正倫(エア・ウォーター 上席執行役員 AI・DX推進室長)
2026年10月20日

IT業界で培ったスピード感を武器に私が入社したのは、M&A(企業の統合・買収)を通じて事業を広げ、262社を形成する複合企業グループだった。本連載では、ERP(Enterprise Resource Planning:企業資源計画)システムの統合や形骸化したITガバナンスへの対応など、重厚な課題へ真っ向から挑んだ現役DX(デジタルトランスフォーメーション)責任者の実体験とその葛藤を描く。「AI前提」の経営実装に向けて“守り”の領域で実効性を発揮するAI(人工知能)技術とDX、業務の再設計のタイミングの見極めに至るまで、私なりの答えを示していきたい。第1回となる本稿では、ゴールを「システム統合」から「データ統合」へ切り替えた判断と、AIエージェントの時代に企業へ最後まで残る資産について論じる。

 “SaaS(Software as a Service) is Dead”。この言葉とともに、業務をパッケージソフトの標準仕様に合わせる「Fit to Standard」もまた、役割を終えようとしている。

 ではそのとき、企業の手元にはどんな資産が残るのか。結論を先に書けば、私なりに出した答えは「データ」と、それを誰がどう扱うかを定める「ガバナンス」の層である。

 もっとも、そこへたどり着く道は平坦ではない。伝統的な大企業でDX(デジタルトランスフォーメーション)推進の障壁となるのは、変化を阻む組織文化や手つかずのまま残るレガシーシステムである。大企業文化に適応しながらも、変革の土壇場では、時に既定路線を“壊す”決断を下さなければならない。

IT業界で磨いたスピード感が通じなかった

 2023年、私はエア・ウォーターに入社した。祖業は産業ガスだが、いまや売上収益1兆668億円(2026年3月期連結)、グループ従業員数約2万2000名、グループ会社は262社に上る規模に成長している。

 それまでの16年間、私が身を置いていたのはIT業界だった。モバイル向けサービスのマーケティングやヘルスケア事業を率い、その後は事業会社の代表として、遠隔診療や電子薬歴といった新規事業を軌道に乗せてきた。

 ITの世界の時間感覚は単純だ。決めたら翌週には動き出し、動かしながら直す。半年かけて計画を練るより、2週間で試作して市場に問う方が早い。このスピード感こそ自分の最大の武器であり、持ち込めば伝統的な企業ももっと速く動くはずだ--。正直に言えば、私は少し楽観していた。

 だが、武器はそのままでは歯が立たなかった。私の見立てが甘かったのである。

足かせは「規模」ではなくM&Aが生んだ「構造」

 入社当時、私が驚いたのは会社の規模そのものではない。その規模がどのように形づくられてきたかという「構造」の方だった。

 2000年に2208億円だった売上高が1兆円を超えたのは、単一事業の拡大によるものではない。産業ガスを軸に、エネルギー、医療、農業、食品へとM&A(企業の統合・買収)を重ねて領域を広げてきた結果である。これは1つの事業の不振が全体を揺るがさない、私たちが「全天候型の事業ポートフォリオ」と呼ぶ構造だ。

 だが、経営を堅牢にするこの“強さ”は、デジタルの観点ではそのまま“弱さ”の裏返しでもあった。グループ262社はそれぞれ固有の歴史と独自の業務慣行、異なるITシステムを持つ。事業を買うとは、そのシステムを一緒に引き受けるということを意味する。グループ全体の数字を1つ出すために、何人もの担当者が何日もかけて各社に問い合わせ、フォーマットの異なるファイルを突き合わせる。苦労して出てきた数字は、意思決定の段階ではすでに過去のものになっている。

 つまり、私が直面したのは「動きが遅い会社」ではない。「動くための『神経系』が通っていない組織」だった。いくら「速く走れ」と号令をかけたところで、脳から足へと信号が届かなければ、組織が速くなりようがない。