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企業の暗黙知を組み込んだ産業世界モデルが、ものづくりの価値指標を塗り替える【前編】

「3DEXPERIENCE WORLD 2026」より

佐久間 太郎(DIGITAL X 編集長)
2026年6月3日

 LEOとMARIEは独立して動作するのではなく「共通の設計課題に対して互いに協調することで最適解を導き出す」とクマー氏は説明する。その協調の過程では「時として意図的に、異なる視点を衝突させることもある」(同)という。

 その際に全体管理を担うAIエージェントとしてAURAを位置付ける。AURAはMBA(Master of Business Administration:経営学修士)の職位を持ち、ビジネスの専門家であるという。予算、納期、顧客の要求仕様などを現実的な制約に収め「プロジェクト全体の整合性をとるマネジメントの役割を持たせる」(クマー氏)という。

 例えば、これら3つのAIエージェントと設計者の協調は下記のような流れだ。

 例えば設計者が「軽量で50万リットルの水を支える鋼の構造が必要だ」というあいまいなプロンプト(指示文)を伝えると、まずAURAがその要求仕様を整理し、全体のリスクやタイムラインをビジネス視点で評価する。次にAURAは材料特性の検証をMARIEに求める。

 MARIEは、水を保持する水圧や耐食性を考慮して、必要な材料を提案する(図2)。またその際、最新の政府規制やコンプライアンス要件に照らし合わせて、基準を満たしていることを確認する。続いて材料制約に基づく構造設計をLEOに求める。

図2:科学的視点を持つAIエージェント「MARIE」が材料特性を比較し、分子構造などから回答を示すチャットの画面例

 LEOは構造力学上の制約を加味した3Dモデルを作成する。その際、設計者に類似設計の過去図面を求めると、設計者がアップロードしたPDFに「Drawing to Sketch」機能を適用して寸法公差を読み込み、編集可能なパラメトリックモデルのスケッチを生成する。実際の設計では、これらの試行錯誤を自律的に繰り返す。

検証されたIPをベースに価値創出までの時間を最短にする

 3種のAIエージェントの基盤にあるのが、IPを学習させた「産業世界モデル(Industry World Model)」である。最適解に求められるのは「力、熱、摩擦、流体などの種々の物理法則を理解し、因果関係を正しく認識した上で、現実に製造可能な答えを導き出す能力」(ダロズ氏)だ。

 そのためダロズ氏は「LLM(Large Language Model:大規模言語モデル)と、産業界が“真に”求めているAIモデルとの間には、埋めがたい次元の差がある」と指摘する。「現実世界はテキストや画像ではなく、物理法則、材料、そしてエネルギーの制約で成り立っている」(同)ため、ものづくりの実務には使えないからだ。

 同社 CRE(Customer Role Experience)担当シニア・バイス・プレジデントのジャン・パオロ・バッシ(Gian Paolo Bassi)氏は、産業世界モデルの導入によって「設計・製造の進め方が変わり、ビジネスにおける成功の指標をも変容させる。生成経済においては『市場投入までの時間(Time to Market)』から『価値創出までの時間(Time to Value)』へとその指標を転換すべきだ」と主張する(写真4)。

写真4:仏ダッソー・システムズ CRE(Customer Role Experience)担当シニア・バイス・プレジデント ジャン・パオロ・バッシ(Gian Paolo Bassi)氏

 産業世界モデルという物理エンジンを介することで、AIエージェントは「初期段階から物理的に正しく、製造可能で、規制もクリアした設計を提示できる」(バッシ氏)という。これにより、無駄な試作や手戻りを削減し「真の顧客価値や現場の生産性向上をもたらす瞬間に向けたものづくりのプロセスに『速度(Velocity)』が得られる」とバッシ氏は強調する。

 Velocityは、物理学においてベクトル量を示している。バッシ氏は「進むべきベクトルが間違っていれば価値の創出につながらない。ビジネスにおけるイノベーションも同様だ」と強調する。それは作業の高速化といった意味での「『速さ(Speed)』ではない」という。

 ナレッジとノウハウからなるIPは、ものづくりにおいて進むべき「方向性(Direction)」を定義している。「どの設計手法が物理的に成立し、どの手順であれば製造エラーを防げるかという検証済みのガイドライン」(バッシ氏)だからだ。

 貴重なIPを保護するために、バッシ氏は「データ主権(Data Sovereignty)を最優先事項として掲げている」とも強調する。検証されたIPをベースに、AI技術で推進力を得る。この両者が噛み合ったとき初めて、正しい方向への「速度(Velocity)」が最大化され、価値創出へと最短で到達することが可能になるからだ。

制約の限界では人間の判断力が問われる

 産業世界モデルと組み合わせるIPは、現場で培われてきたものだ。物理法則に沿い、手順を満たした設計案をAI技術が自ら導き出せるようになれば、現場のエンジニアは不要になるのではないか。これに対してクマー氏は「エンジニアの職人技や設計能力こそ、これからのAI時代においてむしろ価値が高まっていく」と反論する。

 AI技術は既存のパターンや検証済みのIPをベースに、物理的制約をクリアした選択肢を出すことには長けている。しかし、AI技術は物理の根本的な法則までを書き換えることはできない。

 特に、最先端の製造領域になればなるほど「強度、コスト、環境性能といった制約の限界でトレードオフに直面する」(クマー氏)ときがある。この局面で「どれを優先して乗り越えるかにおいては、人間の判断力が問われる」とクマー氏は強調する。バッシ氏も「どの方向へ進むべきかという大局的なビジョンやコンパスを握るのは、どこまでも人間の役割だ」と強調する。

 ダッソーはいかにして産業世界モデルを強固に確立していくのか。後編では基調講演に登壇した米NVIDIA CEO ジェンスン・フアン(Jensen Huang)氏から発表された協業の内容を解きながら、全体像を伝える。