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デジタル時代の熟練技術者育成法、HCMI×日本溶接協会×NSSOLによるAI溶接シミュレーターが起爆剤に

熟練者のノウハウをモデル化し身体の動きを含めた学習環境を提供

2022年9月6日

生産年齢人口の減少や、労働環境を起因とした若者離れなど、日本のものづくり企業は諸々の課題に直面している。ものづくりを支える溶接の現場も同様だ。そうした中、人を主体とした新しいものづくり手法の開発に取り組むHCMIコンソーシアムと日本溶接協会、日鉄ソリューションズ(NSSOL)が、熟練の溶接技術者を育成するために、デジタル技術を利用した新しいシミュレーターの研究開発に取り組んでいる。その狙いや将来への期待をプロジェクトの中核メンバーが語った。(文中敬称略)

──ものづくりの現場では、デジタル技術を活用した自動化やロボットとの協働などへの取り組みが本格化してきました。「人」が主役となるものづくり革新推進コンソーシアム(Consortium for Human-Centric Manufacturing Innovation:HCMIコンソーシアム)のテーマも、「人」を主役とした考え方に基づく新しい、ものづくり手法の確立にあります。

岩井 匡代(以下、岩井) :HCMIコンソーシアム事務局長の岩井 匡代です。HCMIコンソーシアムは2019年、産業技術総合研究所(産総研)の産学官共同プラットフォームとして始動しました。国内の製造業が直面する生産年齢人口の減少や消費者ニーズの多様化といった課題の解決を支援するためです。「大量生産のベースである機械に労働者が合わせる働き方から、労働者が主役となり機械をパートナーとして協働する働き方への転換」を2030年に向けた目標に掲げています。

写真1:HCMIコンソーシアム事務局長の岩井 匡代 氏

“親方の技を盗む”形の技術習得は熟練者の減少で限界に

 生産年齢人口の減少は人手不足を引き起こすだけでなく、労働者も消費者であるために市場の縮小にも直結しています。人を主役とした、ものづくり手法を確立できれば、やりがいの向上を通じ、労働寿命の延長による人手不足の解消と同時に、市場の縮小回避が期待できます。機械には真似のできない柔軟な職人技による“変種変量”の、ものづくりに向けた道筋もつけられます。

 しかし、ものづくりにおいて喫緊の課題になっているのは熟練技能工の育成です。熟練者が持つ技能の重要性は今後、さらに高まると考えられています。

 ただ従来の“親方の技を盗む”形での技術習得では、熟練者自身が減り、廃業も相次いでいるだけに、育成が間に合わないリスクが現実味を帯びています。また、親方の腕がいくら良くても人には得手・不得手があるため「親方のやり方が絶対的に正しい」とは言い切れないことも悩ましい点です。

 これらを踏まえHCMIコンソーシアムでは、熟練者の”経験や勘”を効率よく伝承する手法の確立に力を入れています。その一環として、多様な産業で使われる溶接に着目しました。そこで溶接協会にお声がけし、熟練者をより効果的に育成できる溶接シミュレーターの研究開発に着手しました。

水沼 渉(以下、水沼) :日本溶接協会 専務理事の水沼 渉です。溶接は金属同士を接合するという、ものづくりの基盤技術であり、溶接なくして日本が得意とする製造業は成り立ちません。しかし、ものづくりの現場の海外移転などを背景に、国内の溶接技術者は減少してしまいました。ところが近年、溶接工程の国内回帰が進んでおり、溶接技能者の不足は深刻化しています。

写真2:日本溶接協会 専務理事の水沼 渉 氏

 熟練者のノウハウを喪失してしまうという危機感から、我々は熟練の溶接技術者が持つ技術・技能の伝承活動を改めて強化してきました。そこでわかったのが、熟練者の教え方は千差万別だということです。例えば、「仕上がりは一定レベルだが作業が速い」、あるいは逆に「作業は遅いが仕上がりがとてもきれい」といった違いです。熟練者のそれぞれが、自分に合ったやり方を工夫しながら技能を身に着けてきたからです。つまり、正しい溶接法は1つではないのです。

 その前提で、学習者が効率的かつ前向きに技術を習得できるようにするには、個々人の身体的な特徴や性格なども考慮し、教え方そのものも学習者に合わせて変えることが望ましいということになります。ただ、従来の学習方法では学習者に合わせて最適化することが難しく、若手が訓練についていけないケースも残念ながら生じていました。

 そんな状況下で、新しいシミュレーターを研究開発するという話は、まさに渡りに船でした。HCMIコンソーシアムが考えるシミュレーターであれば、学習者が“型”にはめられることなく、個性を生かしながら技能を伸ばせると確信したからです。仮想空間を利用することで、安全に、かつ材料を無駄にしない自発的なトレーニングが可能になります。まさに溶接の技術継承のDXと言っても過言ではないでしょう。

──既存の溶接シミュレーターは、どこに限界があったのでしょう。

水沼 :溶接では、溶接池を適切に保てるように溶接用トーチ(溶接棒)の角度と速度、距離の3つをコントロールします。既存の溶接シミュレーターでは、正解としての角度と速度、距離に対し、トーチをどれだけ正しく動かせているかを測定しています。適切な溶接池ができる角度・速度・距離の組み合わせは色々ありますが、正解値から少しでも外れれば不正解になってしまうのです。これは、千差万別な親方の指導方法を再現しておらず、我々が考える個性を生かした技術習得には合致しません。

 これに対し、研究開発中の溶接シミュレーターでは「効率的で、きれいな溶接」という現場の正解に向けて、いくつものやり方を試せるようになります。実際の結果を実現できる技術を磨ける点で、既存の溶接シミュレーターとは一線を画します。