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- 会津若松市はデジタル化をなぜ受け入れたのか
2020年に本格化するスマートシティ、会津から全国へ【第25回】
〜データに基づく市民中心のスマートシティの実像〜
日本全国では現在、約100の地域でスマートシティに関連する実証や一部実装が始まっている。2020年4月からは第2期地方創生計画が始動する。地方の経営を継続するためには、スマートシティプロジェクトがいかに重要なポジションを占めるかを改めて解説したい。
日本のスマートシティプロジェクトは約10年前、エネルギーの見える化による省エネ推進を目的とした経済産業省や総務省の実証事業として始まった。会津若松市のスマートシティプロジェクトも、2011年3月11日に起こった東日本大震災を受けたアクセンチュアの復興プロジェクトとし始動し、総務省の実証事業の位置付けで進展してきた。
あれから約9年。2019年のG20大阪サミットでは、安倍首相が世界規模でのデータ流通・利活用を推進するための枠組み「DFFT(Data Free Flow with Trust: 信頼ある自由なデータ流通)」を世界に呼び掛け、「スーパーシティ・スマートシティフォーラム2019」が併設イベントとして開催された。
2020年1月時点で、全国約100地域がスマートシティの実現に着手している。計画中の地域を加えれば数倍規模になるだろう。そして、2020年4月に始動するのが第2期地方創生計画である。
地方創生の成就には“わくわく感”が不可欠
図1は、デジタルシフトによる地方創生を成就させたプロセスである。地方創生は、戦略そのものが綿密に練られているだけでは足りない。一番重要なのは、プロジェクトに関係する人々の“わくわく感”をいかに引き出すかである。
プロジェクトそのものに関わる人にも、プロジェクトを受け入れる地域の人にも、そして、それらをサポートする行政や教育機関にも、参画する全員が、どれだけ、わくわくできるかが最も重要だ。もちろん会津若松のプロジェクトには、日本を変える可能性を感じる「わくわく感」があった。だからこそ、このプロセスを8年をかけて実現できた。
さらに、会津若松が成功している大きな理由の1つに、当初から青写真としての「会津モデル」を策定したことが挙げられる(図2)。
会津モデルでは、市長のリーダーシップや市議会の理解、産官学連携を大前提(土台)にデータプラットフォームを構築し、そこに行政のオープンデータを集め、そのデータを活用する人材を育成し、関連産業の集積施設を整備する計画とした。
そのうえで、「地域プラットフォーム」上に、生産性向上のためのデジタライゼーションを実施すべき領域を定義し、最上位に市民を位置付けている。このモデル図こそが、これからの市民主導データ駆動型社会のモデルであり、新しい公共への変革を促すことになる。
会津モデルは、2012年に素案を作成し、多くの関係者に公開した。このモデルに共感する人たちや企業に参加してもらいうためである。行政や企業主導の時代を終え、市民主導のモデルのあり方を本格的に議論し実現するためには、既得権益を自ら見直し、前に進めるメンバーでなければ、スマートシティの“あるべき姿”は成就しないと考えていたからだ。
2019年4月、会津若松市に開所したICTオフィスビル「スマートシティAiCT」には、予定を含めて21社が入居している。いずれも、会津のモデル図を理解し、共に実現するために入居した企業ばかりである。