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日本社会のIT/DX変革における4つの“過ち”と起爆剤としての5つのポイント【第1回】

中村 彰二朗(アクセンチュア・イノベーションセンター福島 センター共同統括)
2021年3月1日

日本にとって2021年は「行政・社会のDX(デジタルトランスフォーメーション)元年」になる。いや、DX元年として成功させなければ、日本の再生は達成できないという危機感を持っている。筆者はこれまで福島・会津若松を舞台にしたスマートシティプロジェクトに携わってきた(連載『会津若松市はデジタル化をなぜ受け入れたのか』)。本連載では、会津若松での経験や全国各地で見た現状を踏まえ、スマートシティを軸にした日本の“あるべき分散社会”の構築と、その実現に必要な考え方などについて語っていく。今回は、日本におけるIT化/デジタル化におけるこれまでの4つの“過ち”を振り返ったうえで、成功に向けて実行しなければならない5つのポイントを挙げる。

 「DX(デジタルトランスフォーメーション)」がバズワード化して久しい。各社でDX本部の立ち上げラッシュが起きたり、「x社が考えるDXとは?」といった発信も多くなされている。だが一方で、国内では真のDXの意味が理解されないまま、もてはやされている感もある。

 日本における「行政・社会のDX(デジタルトランスフォーメーション)」の実現に向けて語っていくにあたり、まずは現状の認識を読者の皆さんと共有するために、日本のIT化/デジタル化における、これまでの4つの“過ち”を振り返りたい。

写真:アクセンチュアの「アクセンチュア・イノベーションセンター福島(AIF)」センター共同統括の中村 彰二朗 氏

過ち1:オープンシステムを本質的に取り入れられなかった

 1990年代、米シリコンバレーを中心としたSun Microsystems(現Oracle)や、Oracle、Cisco SystemsなどのIT新興企業は、それまでの巨大ITベンダーが提供する高価な独自システムに対抗し、安価なオープンシステムの提供を始めた。オープンシステムは、コンピューターの世界でオープンな標準に準拠したソフトウェアや、それを使用しているコンピューターである。

 この大きなうねりは世界中に波及し、日本でも多くのコンピューターメーカーや家電メーカーが、オープンな基本ソフトウェア(OS)である「UNIX」をベースにワークステーション(WS)やサーバーというハードウェアを開発し、コンピューターの小型化が進行していった。シリコンバレーではさらに、オープン化からクラウド化への流れが加速する。

 その間、日本の大手コンピュータメーカーは、独自仕様のオフィスコンピューターをオープンシステムに置き換え、一部の情報系メインフレームの小型化にオープン化の流れを利用した。ただ一方で、独自システムを温存したため、真のオープン化にはつながらなかった。

 オープンなソフトウェア群であるOSS(オープンソースソフトウェア)においても、それを積極的に取り入れたITベンチャー企業が大手との差別化に利用するだけにとどまり、IT業界全体の動きにはならなかった。

 日本はオープン化という大きな技術革新を取り入れることに失敗してしまったのだ。多くの意思決定者が世界の潮流を本質的に受け止められなかったことが原因だろう。

過ち2:日本企業がCIOを戦略担当に位置付けなかった

 企業におけるCIO(Chief Information Officer:最高情報責任者)の位置づけについて、米国では戦略的ポジションとし、ITを活用した経営戦略立案をミッションとして与えてきたのに対し、日本では情報システムの管理部門の延長線上に位置づけ、社内の効率化の向上を多くのミッションとしてきた。

 経営の中枢にITを位置付けた米国と、そうしなかった日本の違いは、IT投資額にも大きな開きを生み両国のIT格差は拡大した。また日本ではITによる経営革新に踏み切ることなく、企業でも政府でもIT部門のポジションを著しく低く留めることになってしまった。

 その後政府は、CIOやCIO補佐官を設置した。だが、その権限や予算は限定的で、大きな役割を果たせる環境ではなかった。さらに各業界では、目先の業務案件に対応する形で現場の効率化のためのIT導入を加速させた。全体戦略としてのオープン化やフラット化を念頭に置いた標準化の議論が起きることもなく、受託型のシステム開発による「ITのバラバラ導入」が進んでいく。

 これらを反省し、2000年ごろからは全体最適化を図る「EA(Enterprise Architecture)」の考え方が導入され、CIOの重要性が再度見直された。だがそれも、ミッションはあくまでも最適化であり、経営の中枢にCIOが位置付けられることは少なかった。