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デジタル田園都市国家構想が目指すべきDXの本質【第14回】

会津若松が先駆けたオプトイン社会が日本を再生する

中村 彰二朗(アクセンチュア・イノベーションセンター福島 センター共同統括)
2022年3月14日

昨今、ITとDX(デジタルトランスフォーメーション)が同義語のように使われることがあるようだ。しかし、これらは本質的に別物である。日本は復権をかけてデジタル庁を創設し、デジタル田園都市国家構想を打ち出したが、抜本的に改革すべきは何なのか。今回はDXの本質とは何か、その重要なポイントを解説する。

 筆者が参加する政府系委員会においても、DX(デジタルトランスフォーメーション)の事例が取り上げられることがある。だが、そこに挙がるのは、オンライン教育(eラーニング)やオンライン診療、そして在宅テレワークだ。確かにこれら3領域は、コロナ禍において一気に導入が進み注目されたかも知れない。しかし、どれもがDXの本質とは、ずれていると感じている。

 インターネットが普及して久しく、オンライン診療は感染対策として限定的に解禁されたが、オンライン教育も在宅テレワークも、かなり前から活用されてきた。これらはDXではなくオンライン化の例だ。

 東京や、その他の都市部では、スマートフォン決済が日常となり現金を持ち歩く必要がほぼなくなった。同時に、その手数料を誰が負担しているのかなど気にすることはほとんどない。便利の裏側には必ず負担を強いられている人がいるにもかかわらずだ。これが日本の表層的な「デジタル便利社会」である。

 オンライン化をDXと呼んだり、デジタル便利社会のままでは、日本は再生などしない。日本全体の生産性を抜本的に見直すことが急務だ。そのためには国民一人ひとりが関わっている組織の改革が不可欠であり、そこではデジタルが有効な武器になる。

 ただし、抜本的改革は関係する専門家同士だけの閉じた議論では進まない。便利さを求める前に、やるべきことが数多くあることを共有したうえで、デジタル化の本質に関するポイントを5つ挙げる。

デジタル化の本質1:機能を地方に分散する

 DXの「D:Digital」には、デジタル化を進めるAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)といった強力なツールと、その中核をなすデータがある。それらがあるからこそ、あるべき方向への変革(X:Transformation)が可能になり、それをDXという。このように理解して筆者は地域DXであるスマートシティに取り組んできた。

 DXの「D(デジタル)」だけならば、オンライン教育の導入によって目的は達成できるかもしれないが「X(変革)」はなし得ない。子供一人ひとりの個性を蓄積したデータに基づいて把握し、AIによる診断機能も活用しながら教育そのものを双方向にパーソナライズしてこそ「教育DX」だといえる。

 オンライン診療も、患者は、いつでも・どこからでも診療を受けられるので便利ではある。だが、医師は現状、診療施設からしか診察ができず場所が制限されている。医師も、どこからでも診察ができれば、医療行為そのものを次のステージに変革するきっかけになるだろう。

 コロナ禍では、多くのビジネスパーソンが新たな働き方を経験し、在宅テレワークが進んだことは大きな進展である。だが、そもそもテレワークは東京一極集中を是正するための重要政策であったはずで、サテライトオフィスなどにより日本全国へ機能を分散することが本質だった。

 「地方にいながらにして東京の仕事ができることがテレワークだ」と認識しては地方への機能移転は進まないし、移転した機能と地域産業のコラボレーションによる生産性向上も起きない。一部のワーケーションのように、地方都市の関係人口が増加する程度の成果に留まってしまうのではないだろうか。

 DXの本質は、テレワーク環境を整備することで各種機能を地方に分散することである。その意義を広める必要がある。