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デジタル田園都市国家構想とスマートシティ【第12回】

中村 彰二朗(アクセンチュア・イノベーションセンター福島 センター共同統括)
2022年1月20日

岸田文雄政権が2021年、地方活性化のための切り札として「デジタル田園都市国家構想」を打ち出した。日本各地のスマートシティプロジェクトや、2014年以降に策定された地方創生戦略、そして2020年の改正国家戦略特区法(スーパーシティ法)施行を経てきた2022年1月、地域DX(デジタルトランスフォーメーション)による日本の再戦略が本格的に始まる。

リーダーたちが夢見てきた「理想の都市計画」

 岸田内閣の「デジタル田園都市国家構想」の“田園都市”には2つの意味がある。「豊かな自然環境に恵まれた都市」という一般的な意味と、1898年にイギリスの社会改良主義者エベネザー・ハワードが提唱した、都市と農村の融合を目指す「新しい都市形態」である。

 ハワードの提案は、第二次世界大戦後のイギリスの「ニュータウン政策」をはじめ、世界各地の住宅地計画など郊外型の都市開発に大きな影響を与えた。日本でも、渋沢 栄一が田園都市株式会社を設立し「洗足田園都市」といったまちづくりプロジェクトを推進。田中 角栄 元首相は「日本列島改造論」の仕上げとして新幹線や高速道路を作り、大平正芳 元首相が、その先に豊かな田園都市を実現しようと政策を進めた。

 ただし当時は、インターネットのようなオープンでフラットなネットワーク網がなく、情報が中央に集中してしまう。高度経済成長により“東京一極集中モデル”は加速し、地域は東京の下請けとなる構造になってしまった。

 デジタル田園都市国家構想は、デジタル時代となった今、インフラを再整備したうえで、当時の理想を現代版に焼き直したものだ。初代デジタル大臣であり岸田派の幹部である平井 卓也 氏(自民党デジタル社会推進本部長)が、デジタライゼーション政策に関する提言「デジタル・ニッポン2020」で打ち出した構想でもある。

地域の自立を目指す構想はスマートシティそのもの

 デジタル田園都市国家構想は、筆者らが会津若松市で進めてきたスマートシティそのものだ。その会津若松を岸田首相が2021年12月4日に訪れた。筆者は「スーパーシティAiCTコンソーシアム(SAC)」の代表として総理にアテンドし、この10年の会津若松でのスマートシティへの取り組みを説明した。

 岸田首相は、ICT関連企業の誘致・交流をうながすためのオフィス施設「スマートシティAiCT」などを視察し、様々なデジタルサービスを実際に体験された。AiCTで開いた車座では、地元の医療や製造業、観光業、農業の代表者および学生と、地域のデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進するうえでの課題や可能性について対談もされた。

 図1は、第1回デジタル田園都市国家構想会議における論点を整理した内容と、10年間の会津でのプロジェクトを対比させたものである。強調したい点を赤字で示している。

図1:デジタル田園都市国家構想と会津プロジェクトの対比

 この対比において、その論点を整理し、いくつかの項目について解説を加えたい。