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  • AI協働時代の技能継承のカタチ〜技と知を未来につなぐために〜

ホスピタリティのための技能継承とAI活用【第9回】

西岡 千尋、滝本 真、田中 俊(アビームコンサルティング AI Leapセクター)
2026年2月9日

判断技能が暗黙知になる背景には構造的要因がある

 こうしたホスピタリティの判断技能が継承されにくいのは、個人の努力不足や教育の欠如によるものではない。その背景には、現場の判断を「再現可能な知」に変換しにくくする構造的な要因が存在する。

要因1:状況依存性が高い

 同じ言葉、同じ要望であっても、相手やタイミング、場の空気が変われば正解は変わる。熟練者は「前回と同じだから今回も同じ」という判断をほとんどせず「今回は違う」と感じ取って状況を捉え直している。しかし、この違いを生み出している要素が共有されることは少ない。結果、判断は再現できないものとして扱われてきた。

要因2:判断プロセスの無意識化

 熟練者の判断は非論理的なのではなく、高速化・自動化された論理で動いている。しかし、わずかな表情変化や声の張り、呼吸の速さといった非言語の手がかりによるその思考経路は、本人にとっては自明であり、あらためて言語化される機会がほとんどない。結果として、判断の背景はブラックボックス化する。

要因3:判断プロセスが記録に残らない

 クレームやトラブルが発生した際は、報告が上がり、その要因調査の結果なども含めて記録に残る。その記録を元に、是正措置が検討され、再発防止の観点からプロセスの見直しが図られる。

 一方で、クレームがなかった、満足度が高かったといった事後的な評価では「なぜうまくいったのか」「何をしなかったのか」が検証されない。とりわけ、あえて介入しない/説明を段階化するといった判断は可視化しにくく、記録にも残りにくい。そのため判断の思考が記録されず、学習の対象から外れてきた。

 こうした状況が続くことで、ホスピタリティは次第に「気が利く」「向いている」といった資質論に回収される。本来は磨かれ、共有され得る判断技能が、個人の性格やセンスとして扱われ、組織の中に沈殿してきたのである(図2)。

図2:ホスピタリティ技能は暗黙知だと考えられ組織の中に沈殿してきた

AIが判断材料を調え人が判断を下す

 このように、ホスピタリティの判断技能は現場で確かに発揮されていながら、その思考過程が共有されないまま暗黙知として蓄積されてきた。こうした技能を次の世代につないでいくうえで、近年注目されているのがAI(人工知能)技術の活用だ。

 ここでいうAIとは、判断を自律的に下す主体ではなく、判断に必要な情報の整理・比較・振り返りを担う知的処理の中核を指す。以下で触れる感情解析やセンシング、デジタルツインといった技術は、このAIと連携し、判断の前提になる情報や環境を整える周辺技術として機能する(図3)。

図3:AI技術は、判断に必要な情報の整理・比較・振り返りに必要な機能を担い、それを人が判断する

 例えば、感情解析やセンシング技術は、判断の前段において熟練者が無意識に捉えてきた兆候を可視化する。表情や声のトーンといった情報が共有されることで、若手やチーム全体が「立ち止まるべきポイント」を認識しやすくなる。ただし、可視化された数値や指標は手掛かりに過ぎず、その情報をどう解釈し判断するかは、引き続き人が担う。

 過去事例や選択肢を提示するレコメンドは、文脈に応じた選択肢を示し、判断の出発点として機能する。経験の浅い担当者にとって、どのような選択肢があり得るのかを知ること自体が学習につながる。一方で、定石から外れる、あるいは何もしないという選択は、状況を引き受ける人に委ねられる。

 デジタルツインや壁打ち型のシミュレーションは、判断を振り返り、言語化するための環境を提供する。仮想的な状況を前に判断を試すことで「なぜその選択をしたのか」「なぜ別の選択肢を取らなかったのか」が言葉として浮かび上がる。ここで共有されるのは正解ではなく、判断の理由だ。特に「あえて介入しない/段階的に伝える」というような見えにくい判断こそ、振り返りの題材にする価値が高い。

 AI技術が果たし得る価値は、判断そのものの代替ではない。熟練者が判断に至るまでに見てきた情報や、比較してきた選択肢を整理し、共有可能な形に整える点にある。判断技能を中心に据えたとき、人とAIは役割を分担しながら協力する関係にある。