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- 今こそ問い直したいDXの本質
ITの理解が進めばデジタルによる夜変革は進むのか?【第10回】
DXの考え方に慣れないあなたへ

前回は、DX(デジタルトランスフォーメーション)が変革の一種であるとの認知が進まない理由として、DXには一般的なゴールが定義されていないことと、IT技術の理解が不十分なことによる自信のなさやITベンダーによる営業活動により従来同様のIT導入の話になってしまう点を指摘しました。ただ悪者を作って終わりにしたかった訳ではないので、今回は、ITへの理解が深まればDXの認知は進むのかどうかを考えてみます。
前回、DX(デジタルトランスフォーメーション)の認知が進まない理由の1つとして、IT技術の理解が不十分なことによる自信のなさが、デジタルやDXに対する視野を狭めていることを挙げました。そこにコンサルタントやITベンダーからの製品/サービスを売り込むためのメッセージが絡み合いIT導入の話に陥ることも指摘しました。
では仮に、コンサルタントやITベンダーの脅しや甘言に惑わされないくらいに先進的なITへの理解が深まったとしましょう。そのときDXの専門家との対話の中で「それのどこがDXなの?」「いつデジタルの話が出て来るのか分からない」「何の話なのか分からなかった」という台詞は撲滅されるのでしょうか。この問に対しては、非常に心許ないと言わざるを得ません。
なぜならDXの理解が進まないのは結局“変革”というものの難しさに起因しているからです。つまり普通に考えれば「誰も変革なんてしたくない」のです。昨日までやってきたことを今日もやり、明日もやる。会社が「それなりに上手くいっているのに、なぜそれでは駄目なのか」という問いに真っ向から答えられない限り、変革は成功しません。
この問いに答える前に、変革のための手段を提案しても誰にも響かないのはもちろん、手段を目的化した“本末転倒”な人だと思われます。変革が求められていない段階ではDX自体が本末転倒な活動だと思われているために「いつデジタルの話が出て来るの?」と聞かれてしまうのです。
変革の意思がないなかではデジタルは小さなトピックに過ぎない
もし話の聞き手が、変革に対し強烈な切望感を持っていると、議論の中心は変革の方向性や総合的な実現性が中心になり、デジタルは小さなトピックの1つになります。
逆に聞き手が、変革に関心がない場合、話は提案された製品/サービスのROI(Return on Investment:投資対効果)など判断の話になり、本質的な議論は起こりません。こうしたマインドセットを持つ後者に、前者向けの話をしたときに「趣旨がよく分からない」と言われてしまうのです。実際、多くの人は後者のスタンスです。
DXのような新規投資への余力がある企業は、しばしば業績好調であり、だからこそ心の奥底では現状への肯定感を感じやすいことを考えれば、変革への切迫感がないことは決して安易には非難できません。サッカーの格言に「勝っているチームはいじるな」というものがあります。将来の変革を見越して打った手が現在の好調を損ねるリスクは確かに無視できないことも、こうした態度を後押しするでしょう。
しかし、DXへの取り組みは会社が傾いてからでは間に合いません。投資余力が失われ、優秀な人々が逃げ出した後に、変革の意思のみで会社を立て直すのは非常に難しい。つまり、上手くいっているときには変革への強い意志は持ちづらく、かといって「いよいよ駄目だ」となってからでは遅いのです。
そこで心ある人々は仕方なく「投資余力があるうちに何とかしよう」と、上手くいっているにも関わらず将来に対する不安を投げかけます。「本当に今のやり方で良いのか」「未来の競争環境や市場環境は安定しているのか」「他社に先んじて打てる手はないのか」「他業界で起こっている激震は当社に関係ないのか」などです。
ところが、こうした働き掛けが不安を煽る“コンプレックス商法”とほとんど同じ主張になってしまい、社内のDX専門組織であっても、ビジネス側からすると社外のコンサルタントやITベンダーと歩調を合わせる“回し者”に見えてしまうのです。
経営学者のピーター・センゲ氏は、その著書『学習する組織』の中で「人は変化に抵抗するのではない。変化させられることに抵抗するのだ」と述べています。そう考えれば、DX専門家が変革を提案することは不毛であり不要です。変革の必要性は自らの内側から湧き起ってくるものであって、高説を垂れて納得させるものではありません。
より早く気付いてもらおうとホラーストーリーを力説すると煙たがられるうえに「ITベンダーの一味だ」と見られてしまうだけで有効ではありません。こうして提案者の高い志は徐々に折られ、DX専門家は個別のITソリューションを勧める便利屋になっていくのです。考えれば考えるほど、DX推進の難しさが再認識されます。少なくとも筆者はそう感じています。