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そもそも文書は“美しく”なければならないのか【第24回】
AIの広がる姿が想像できないあなたへ

「ChatGPT」に象徴されるLLM(Large Language Model:大規模言語モデル)の登場で、文章の作り方や要約の仕方などが大きく変わりました。このことは文字を介した情報伝達のあり方、さらには読者体験を大きく変える可能性があります。筆者の未来予測を含め、LLM時代の文書について考えてみます。
まずは以下の文章を読んでみてください。
「大規模言語モデルの登場により、私たちは瞬時に整ったテキストを生成できるようになり、文章作成の負担は大幅に軽減されました。しかしその一方で、AIに頼りすぎることで人間の文章力が低下していくのではないか、という懸念も広がっています。
そもそも、文章力の本質とはどこにあるのでしょうか。単に文法的に正しい文字を並べることだけではありません。それは、自分の中の曖昧な思考や感情を言葉に落とし込む「言語化能力」であり、同時に、読み手が何を求め、何に不安を感じているのかを思いやる「他者のニーズや懸念を想像する力」です。
どれだけテクノロジーが進化しても、この2つの力は人間にしか持ち得ない核心的な要素です。効率的なツールとしてAIを賢く活用しつつも、自ら思考し、他者を想像して言葉を紡ぐという営みを放棄してはなりません。技術の恩恵を受けながらも、人間ならではの文章力を磨き続ける姿勢が、これからの時代には求められています。」
これは米Googleのチャットサービス「Gemini」に以下の箇条書きを入力し、文章として生成したものです。
●大規模言語モデルの登場で、文章を書くのは非常に楽になった
●一方で、人間の文章力は低下することが懸念される
●文章力の本質は、言語化能力と、他者のニーズや懸念を想像する力ではないだろうか
元の箇条書きと、冒頭の文章と、どちらが分かりやすいでしょうか? 冒頭の文章を再度Geminiで箇条書きに要約させるとこうなります。
●AIの普及と懸念: 大規模言語モデルの登場で文章作成の負担は大幅に軽減されたが、依存による人間の文章力低下が懸念されている
●文章力の本質: 文章力の本質は、単なる文法的な正しさではなく、自身の曖昧な思考を言葉にする「言語化能力」と、「他者のニーズや懸念を想像する力」にある
●人間固有の要素: テクノロジーが進化しても、「言語化能力」と「他者への想像力」の2つは人間にしか持ち得ない核心的な要素である
●これからの時代に求められる姿勢: AIを効率的なツールとして賢く活用しながらも、自ら思考して言葉を紡ぎ、人間ならではの文章力を磨き続ける姿勢が必要である
LLMを介して読者から筆者へのリクエストが可能に
それぞれについて、どんな印象をもたれたでしょうか。この例示で問題提起したいのは“情報量”と“読者体験”です。つまり、文章のうち余分な箇所を削り取った必要最低限(minimum viable)な内容は何なのか。そして読者にとって最良の体験とは、どういう形式や手続きから得られるのかです。
まず “情報量”というものは非常に難しい問題です。というのも「誰にとっての情報量なのか」という観点があるからです。
冒頭の例で筆者は、最初の箇条書きに言いたいことを込めました。その内容は生成された文章に含まれていますので、筆者の伝えたい情報量は確保されています。しかしGeminiが独自に補った「どれだけテクノロジーが進化しても、この2つの力(言語化能力と想像力)は人間にしか持ち得ない核心的な要素です」というところに価値を見出す読者がいるかもしれません。つまり、作者や読者によって重要な情報は異なります。
“読者体験”に関しては、大きな変化が生じると思います。これまでの読書は、著者から読者への一方的な独り語りでした。しかし、LLM(Large Language Model:大規模言語モデル)を介することで読者は、著者に疑似的にリクエストができるようになります。「顧客体験の具体例を踏まえて解説し直してください」「共通の理解さえあれば議論は可能なのか、もし他の要素があれば挙げてください」など、いま読んでいる文章に関し、文脈を踏まえた解説を引き出せるのです。
もちろん現時点の精度では、質疑を繰り返すと著者が伝えたかったこととLLMが元から学習していた情報とが混然一体になってしまうでしょう。ですが、それでも読者は満足するまで話題を掘り下げたり、横道に逸れたりしながら対話性のある読書を続けられます。
この体験は、独りでの読書としては、おそらくは前代未聞の全く新しい現象でしょう。かつて哲人が対話から得たものに似ている気もしますし、本を先に読んだ知人が解説してくれるのに近いかもしれません。LLMが提供した補足が間違っていて、誤解が増幅することがあるかもしれませんが、それも初学者同士が輪読会を開いたときの経験と近いのかもしれないのです。