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そもそも経営者には好奇心が不可欠なのか【第32回】

DX人材像がイメージできないあなたへ

磯村 哲(DXストラテジスト)
2026年10月30日

最近、「経営者にとって最も必要なのは好奇心だ」という指摘を耳にしました。もちろん「好奇心があれば経営者が務まる」という十分条件としてではなく「好奇心がなければ話にならない」という必要条件としてです。それは本当なのでしょうか。

 イギリスに「好奇心は猫をも殺す」ということわざがあります。「猫は9つの命を持っていて簡単には死なない。そんな猫でも過剰な好奇心は身を亡ぼす」という意味だそうです。

好奇心は変化には強く、維持には弱い

 「好奇心」といえば科学者やアーティストが真っ先に思い浮かびます。組織論のヘンリー・ミンツバーグ氏は経営を「アートとサイエンスとクラフトの3つが混ざり合ったものだ」と言い、『リーン・スタートアップ』の著者であるエリック・リース氏は同書で経営を「科学的な仮説検証プロセス」と見なしてサイクルを回しています。

 こういった主張を鑑みるに、経営においても好奇心が、科学やアートと同様に何か重要な役割を果たしていると考えるのは不自然ではないでしょう。ですが結局のところ、好奇心を持つことに何のメリットがあるのでしょうか。

 好奇心とは、自分が知らないことへの興味です。好奇心のある人は“知らないこと”に惹かれます。ただ自分が詳しくない分野に手を出せば、基本的なミスをしたり他人に騙されたりして手痛い失敗をすることがあります。

 一方で、今できることの外側に向かうきっかけも与えてくれます。見えていない危険を察知する役にも立ちます。他人が何を考えているのかを理解したくなれば、分野を越えてコミュニケーションができますし、世界がどんな仕組みで動いているのか知りたくなって本質に踏み込めば、揺るぎない知恵を手に入れることができるでしょう。

 こう考えると、安定した環境において好奇心が、ろくなことをしないのは容易に想像できます。自らの役割を確実に誠実に果たす際には、好奇心ほど危なっかしいものはありません。変な話を聞きつけてきたり、妙な工夫をしたりして邪魔ばかりする羽目になるからです。だから「好奇心は猫をも殺す」なのでしょう。

 ですが逆に、デジタル化・AI化が急速に進展する現在のような変化のある時代には、非常に有効なのも分かります。見えない脅威が台頭し、これまで定義された役割の境界が揺らぐ状況では、視野を広く取り、いち早く新しい状況に考えを巡らせる能力は大いに役立つでしょう。イギリスの能力開発アドバイザーで思想家のケン・ロビンソン氏は「好奇心こそが、成功の原動力である」としています。

変化の速い時代を楽しむためには好奇心が必要

 経営学者のピーター・ドラッカー氏は「経営者には3つの役割がある」と言っています。

役割1 :事業の決定、組織としての価値観の決定
役割2 :資金配分の決定
役割3 :人材配置の決定

 これらは全て未来のための決断であり、日々のオペレーションではありません。日々同じことが繰り返すような安定した仕事ではないのです。会社を安定して回すのはミドルマネジャーの役割です。経営陣は広い視野で多面的な議論をし、変化に強い意思決定をする。こうした役割分担を考えると、経営陣にとっては、好奇心の良い面が強調され悪い面が出づらいのではないでしょうか。

 しかし、経営者が昔から、こうした姿を期待されていたかといえば、そうではないかもしれません。例えば高度経済成長期の日本は、需要に供給が追い付かず、作れば売れるというなかで安定した効率的なオペレーションが求められました。「何を目指すか」「何を作るか」のお手本は欧米にあり、戦略とは同業他社に打ち勝つための施策を意味しました。

 もちろん、その時代にも好奇心は重要な役割を果たしていました。ただそれは「欧米のどの点を真似するのか」「どうすれば実現できるのか」という関心であって、今ほど多様で複雑な要素を勘案する必要はなかったのではないでしょうか。

 よく日本の社長は「CEO (Chief Executive Officer:最高経営責任者) ではなくCOO (Chief Operating Officer:最高執行責任者)だ」と揶揄されます。特に一昔前までは、闘争心や調整力など設定された目標を実現する力の方が重視されていたのでしょう。

 しかし現代は、ゴールの設定すら簡単ではなくなっています。株主の圧力は高まり、顧客の発言はネットに流通し、社会的な価値提供も要求され、地球の遠い未来も考慮しなくてはいけません。にもかかわらず人材も情報も流動化し自社の強みもはっきりしません。

 そうした中で、もし好奇心がないままに情報の洪水に放り込まれ、迅速な戦略立案や機動的な修正を求められたら、その苦痛は想像に余ります。そうではなく、情報が来れば来るほど面白く感じ、めくるめく変わる状況の中で間断なく仮説構築を楽しむためには、確かに好奇心は不可欠でしょう。