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ソフトウェア開発から企業のイノベーションのツールになったScrum
Scrum誕生の理論的基盤を体系化した一橋大学の野中 郁次郎 名誉教授と、その論文に触発されScrumを生んだジェフ・サザーランド博士

アジャイル(俊敏)なソフトウェア開発手法として誕生した「Scrum(スクラム)」が今、組織にイノベーションを起こすための手法として着目され、その利用が広がっている。今なぜScrumが重要視されるのか。Scrum誕生の理論的基盤になった論文を執筆した一橋大学の野中 郁次郎 名誉教授と、Scrumを生み出したジェフ・サザーランド博士に聞いた。(聞き手は志度 昌宏=DIGITAL X編集長、文中敬称略)
――サザーランド博士は、野中 郁次郎 名誉教授らが1986年に執筆された『The New New Product Development Game(新しい新商品開発ゲーム)』に触発され、ソフトウェア開発手法の「Scrum(スクラム)」を確立されたわけですが、論文を読まれた第1印象は、どうでしたか。
ジェフ・サザーランド博士(以下、サザーランド) 私は1983年から、種々の会社でコンピューターシステムのプロトタイプの開発に携わるようになっていました。UNIXというオープンソフトウェアを生み出したベル研究所で、ソフトウェアの開発方法の研究に携わってもいました。このころから、ウォーターフォール型での開発に対し、小さなチームによって課題解決を図る取り組みを始めていました。
1993年には、自動車メーカーの米Fordなどを顧客に持つソフトウェア開発会社の生産現場の改革に取り組むことになりました。改革ですから、これまでの技術を超え、10倍の成果を出す必要があります。そのため、米IBMが出していた30年分の技術論文を含め、多数の論文を調査し、数々の技術をベンチマークしていきました。
そうした中で“これは”と目を付けた約300の論文の中の1つが『The New New Product Development Game』です。そこには、これまで私たちが試行錯誤してきた新しいソフトウェア開発手法の考え方や仕組みが完全に表現されていたのです。私たちの取り組みが間違っていないことを確信しました。
『The New New Product Development Game』では、チームのリーダーを「スクラムリーダー」と名付けていました。そこから「Scrum Project Management」や「Scrum Master」といった用語が生まれてきたのです。
――野中先生は、企業の競争力をテーマにした論文がソフトウェア開発の手法の基になったことを、どうとらえられていますか。
野中 郁次郎(以下、野中) 私は富士電機に9年務めた後に米UCバークレー校に留学し、分析的かつ理論的なビジネススクールに学びました。帰国後、ハーバードのビジネススクールが開くイノベーションに関するコンファレンスで発表するために日本企業の新製品開発における強みを分析したところ、そこに3つのパターンを見いだしたのです。(1)開発工程が順次処理されるリレー型、(2)前後の工程が折り重なった「刺身」型、(3)複数の工程がオーバーラップするスクラム型の3つです。
専門領域が混ざり合った状態が、最もパフォーマンスが高いのです。それはなぜかといえば、顧客が望むことを断らず、できないこともできると答えていたことで、常に複雑で高度な要求にダイナミックに対応せざるを得なかったからです。そこでは、職能横断的なチームが形成され、作っては直すを繰り返していました。こうした状況をラグビーから取った「スクラム」と名付けたわけです。