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デジタルビジネスを成功に導く「デジタルオーケストラ」【第10回】

今井 俊宏(シスコシステムズ イノベーションセンター センター長)
2018年8月13日

英McLarenが奏でた“デジタルシンフォニー”の例

 デジタルオーケストラの例として、英国のF1チームや、高性能スポーツカーメーカーを抱えるMcLaren(マクラーレン)グループが奏でたシンフォニーを紹介しよう。

 McLarenは、F1の世界で初めてカーボンファイバーを導入し黄金期を築くなど、さまざまなイノベーションをもたらしてきた。しかし、1990年代後半から2000年代初頭にかけては、F1チームの運営コストが影響し、レースの内外で苦戦を強いられる。

 2009年には、国際自動車連盟(FIA)が実走テストを制限したため、McLarenをはじめとするF1チームは、高度にデジタル化されたシミュレーション機能を開発することになる。

 そのために、自動車内やドライバーに装着したセンサーや、レース場周辺のセンサー、気象情報といった外部情報源などから、膨大な量のデータをリアルタイムに取得。データは分析用の高度なデータモデルに入力、データモデルに基づき戦略を策定したうえで、刻々と変化するレース状況に応じて正確なシミュレーションとテストを実行している。

 これらの各機能は、デジタルビジネスアジリティの各要素に対応していることに気付かれたかと思う。複数のデータソースからリアルタイムにデータ収集することは、ハイパーアウェアネス(察知力)。データモデルの構築とデータ分析、推奨アクションの提供は、情報に基づく意思決定である。レース状況の変化に応じてリアルタイムに大量のシミュレーションとテストをすることは、迅速な実行になる。ちなみにMcLarenはレース中、毎秒2000〜3000回にも及ぶシミュレーションを実行している。

 その後McLarenは、F1向けに開発したこれらのデジタル化技術や機能が、モータースポーツ以外の分野でも活用できることに気付き、McLaren Applied Technologiesを設立。まずはハイパフォーマンスが求められるスポーツ分野に進出したのである(図2)。

図2:F1の計測・予測技術に基づくシミュレーションで新事業領域を切り拓いた。

 McLaren Applied Technologiesを展開するに当たり、McLarenが採ったデジタルシンフォニーの内容をまとめたのが表1である。サービスの料金体系に、具体的な成果(コスト削減、新たな収益など)に対する課金方式を採用したり、人材面では、開発者、技術者、データアナリストなどの専門家によるチームを構成するにあたりレース以外の世界からも多様な人材を採用したりと、様々な取り組みを実施している。

表1:英McLarenにおける”デジタルシンフォニー”の内容
セクション要素内容
Go-To-Market/市場開拓デジタルサービスF1で培った高度にデジタル化されたシミュレーション機能を、全く新しい一連のデジタルサービスに転換。常に変化する予測不能な状況下でも、性能や成果を向上するサービスを提供
チャネル固定的な価格ではなく、具体的な成果(コスト削減、新たな収益等)に対する課金方式を採用
エンゲージメントカスタマー公的機関、製薬業、サービス企業、製造業といった新しい顧客を開拓
パートナー英国五輪組織委員会、KPMG、GSKなどとの緊密なパートナーシップを締結
従業員F1で培った専門知識をデータ分析や工業デザイン等の新たな領域へ応用
オペレーションプロセスF1とは異なる新たなビジネスプロセスを構築
ITデータ収集、データモデリング、シミュレーションの一連のサービスを支えるIT技術を駆使
社内環境組織構造McLaren Applied Technologiesを設立。開発者、技術者、データアナリストなどの専門家集団がチームを構成
インセンティブ職務横断的なチームワークを奨励
カルテャーレース以外の世界から多様な人材を採用し、F1のスピード感や高性能重視の文化はそのままに、独自の文化を形成

 成果として、英国五輪組織委員会とのパートナーシップでは、サイクリングとボブスレー、スケルトンにおける英国チームのメダル獲得をサポートした。ほかにも、遠隔測定機能を応用し、脳卒中と筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者を対象にしたヘルスモニタリングシステムや、英ヒースロー空港において飛行機の遅延を減らすスケジューリングシステムを開発。世界有数の石油・ガス会社、製薬会社、データセンター事業者、スポーツメーカーなどとも連携している。

 McLaren Applied Technologiesは、同社グループ内でも最も急速に成長し、最も利益を上げる会社になった。同社がもたらしたデジタルディスラプションの成功は、デジタルオーケストラの各要素を見事に調和させたことで実現されているのである。

 なお、日経経済出版社から日本語に翻訳されたデジタル・ボルテックスの本『対デジタル・ディスラプター戦略』が2017年10月24日に出版されている。こちらも是非、ご覧頂ければ幸いである。

今井 俊宏(いまい・としひろ)

シスコシステムズ合同会社イノベーションセンター センター長。シスコにおいて、2012年10月に「IoTインキュベーションラボ」を立ち上げ、2014年11月には「IoEイノベーションセンター」を設立。現在は、シスコが世界各国で展開するイノベーションセンターの東京サイトのセンター長として、顧客とのイノベーション創出やエコパートナーとのソリューション開発に従事する。フォグコンピューティングを推進する「OpenFog Consortium」では、日本地区委員会のメンバーとしてTech Co-seatを担当。著書に『Internet of Everythingの衝撃』(インプレスR&D)などがある。