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  • 会津若松市はデジタル化をなぜ受け入れたのか

地方創生には「地域の経営力」が不可欠、シビックプライドを高め「会津らしさ」のあるスマートシティに【第16回】

地域プロデューサー本田 勝之助 氏との対談

中村 彰二朗(アクセンチュア 福島イノベーションセンター センター長)
2019年3月7日

地方創生のために憎まれ口を叩かれても突き進む

中村 しかし、本田さんの強い想いをもって2000年から18年が経った今でも、課題解決は達成できていません。経済成長を遂げた国の既得権益は、それほどに強固で、打ち壊すことが困難です。

 デジタルシフトやデジタルトランスフォーメーションを理解している方々は、この変化は「不連続である」とはっきり口にしています。だからこそ「Dare to Disrupt(あえて壊す。勇気を持って大胆に打ち砕く)」以外に道はないのです。憎まれ口を叩かれても、地方創生のために突き進むことが私たちの役割だと確信しています。

本田 大変な役回りです。

中村 とはいえ最近は、あまり反論は言われなくなりました。むしろ「アクセンチュアに言ってもらえてよかった」「気づけた」という声が増えています。“変わる準備”が社会に整ってきたのかもしれません。

 たとえば、日本の経営者が中国を視察し、街角の屋台でキャッシュレス社会を経験すれば「日本は遅れている」と肌身に感じて帰国します。それまでデジタルに懐疑的だった人が一気に推進役に変わる瞬間です。ただ一方で、「デジタル社会など嫌だ」という拒否反応も、まだまだあります。

本田 まさに忍耐の18年間です。

中村 そうした状況の中で、本田さんをはじめ、会津地域スマートシティ推進協議会の皆様が市民中心の取り組みとして、会津のスマートシティプロジェクトを進めてこられたわけです。

将来への「見通し」を持った対話が信頼につながる

中村 そしてアクセンチュアが会津若松で調査活動などをはじめるに当たり、本田さんとはアドバイザリー契約を結び、ご協力いただきました。

本田 地元に関する情報のインプットだけでなく、県庁や市役所はもちろん、病院や学校、商工会議所や観光業の拠点など、さまざまな場所とのコネクションをつなぎました。ヒアリングに同席することもありました。

 アクセンチュアのヒアリングに同行していて感じたのは、「ヒアリング後のアクション」における他の企業との大きな差です。アクセンチュアは現場の課題をヒアリングすると解決への道筋を考え、その見通しを持って再び訪問し、議論するサイクルを持っていました。そのため訪問先との関係性が構築され、信頼感が形成されてくるのを目の当たりにしました。

 「私たちにできることは何かですか?」というアプローチでは、相手の要望する範囲までのことしか実現しません。しかしアクセンチュアは、ヒアリング後にその先の「見通し」を示した点が特徴的でした。

中村 私たちは「外から来た第三者」の視点で語るため、時には地元の方々のお怒りを買ってしまうこともありました。とはいえ、激論を重ねながら、Dare to Disruptの道筋をつける必要があります。

 コンサルタントである私たちは「べき」論を話します。それは誰かが言わなければならないことであり、コンサルタントの使命です。お叱りを受けることも覚悟のうちで、私たちは「こうあるべきです」と言います。

 ただ「あるべき」と言ったからには、アウトカムに責任を持つ。会津若松においても、たとえば地域ポータルサービスの「会津若松+(プラス)」の立ち上げでは、利用者数の目標を市民の30%に設定しました。外国人観光客を誘致する「デジタルDMO(Destination Management Organization)」の取り組みでも、ゴールは3倍に設定しましたが、現在では3.4倍になっています。アウトカムにコミットし、努力をもって業界に示さなければならないのです。

本田 アクセンチュアはグローバルな知見やソリューションを知っています。「こういう取り組みはどうか?」という提案も多岐にわたっていました。かなりの回数や量のやり取りがあったと記憶しています。

地元を変えたいという思いが強い人ほど地元に残らない

本田 中でも、最も困難な取り組みは、やはり地元の理解を得ることです。部分的には今も継続中と言えます。地域には行政などとは別に、事実上の意思決定権者と呼べるような重鎮がいます。そうした方々にどうやって納得していただき、変化を受け入れていただくか。そこが地域を変えるうえでの共通の難しさです。

中村 地方創生でなかなか成果が出ない理由の1つがそれです。「地域をより良くしよう」「課題を解決しよう」と東京から意気込んでいっても、さまざまな要因がある中で、地元の理解をうまく得られず意気消沈して東京に戻ってくることも多い。だからといって地元の若者が、上へ向かって突き上げることは、さらに難しい。

 私たちは「それは違う」と思ったことは臆せずに「正しく言い返す」ことを徹底しています。それでも一筋縄では、いかないことが多々あります。

本田 「地元を変えたいという思いが強い人ほど地元には残らない」というケースが多発していることは皮肉ですね。地元で起業するだけでも、地域経済に何らかのハレーションを起こすからです。その解決にどれだけの労力を割くか、または違うパスを模索するのかも、また苦労です。

中村 そうしたことの1つひとつが、地方で若者が窮屈な思いをしている理由です。東京では他人に関与しません。干渉されないから地方出身者が暮らしやすい。だから地元に戻らず、都心への流入過多になるのかもしれません。

本田 柔軟な考え方を持つキーパーソンが、地域には重要だと本心からいえる時代です。

中村 本田さんは現在、どのくらいの地域と関わっていますか?

本田 国内100以上の地域と仕事で関係しています。各地域が抱えている課題の大部分は共通しており、その多くはデジタルを活用することで突破口が見える課題です。