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- 会津若松市はデジタル化をなぜ受け入れたのか
地方創生には「地域の経営力」が不可欠、シビックプライドを高め「会津らしさ」のあるスマートシティに【第16回】
地域プロデューサー本田 勝之助 氏との対談
日本各地の地方都市が抱える地域課題には共通項目が多い。共通な解決策やアプローチが有効である一方で、地域ごとのユニークさや優位性が何かを見失ってはいけない。会津地域におけるスマートシティプロジェクトのキーパーソンの1人が本田 勝之助 氏だ。会津若松市の出身で、経済産業省が認定した「地域プロデューサー」として日本各地の課題解決に尽力している。「地域経営力の強化」や「地域の自立・自走」を強く訴える本田氏との対談をお届けする。(文中敬称略)
中村 彰二朗(以下、中村) アクセンチュア・イノベーションセンター福島 センター長の中村 彰二朗です。本連載でも指摘してきたように、会津若松市の課題は、日本全体が抱える社会課題の縮図です。それは、将来のアジアの諸都市における未来の姿でもあります。
私にとって本田さんは、スマートシティプロジェクトの発足から約7年を共にしてきた盟友の1人です。それ以前からの関係を含めると約18年の付き合いがあり、オープンかつフラットに語りあえる関係です。
さまざまな社会的役割を果たしている本田さんですが、特に広く知られているのが、経済産業省が提唱する「地域プロデューサー」の福島県代表としての活躍でしょう。地域プロデューサー、あるいは「地域都市ブランド専門家」とは、どのような仕事なのか、改めて教えていただけますか?
本田 勝之助 氏(以下、本田) 農業と食を中心に地域をプロデュースする総合専門会社、本田屋本店 代表取締役の本田 勝之助です。
私が務める地域プロデューサーや地域都市ブランド専門家といった肩書の仕事が誕生したのは2008年です。経産省による取り組みで、その活動内容は多岐に渡ります。一例を挙げれば「農作物のブランド化」を図るために、生産者の栽培方法や特徴など商品が持つ差別化ポイントをしっかりと訴求するアプローチの企画し実施するなどです。
地域の「経営力」を強化し1つの企業体にまとめる
本田 こうした取り組みを進めるにあたって不可欠な要素が「地域を経営する視点」です。地域をプロデュースするには、マーケットで戦える人材を育成し、競争力が高いモノやサービス生み出すのはもちろんのこと、専門性を持つ外部の組織とも必要に応じて連携しなければならないからです。
「経営力の強い地域」すなわち、外の地域から見たときに、その地域があたかも1つの企業体であるかのように意識や行動の転換を図るのが地域プロデューサーの仕事です。地域発展のボトルネックは経営力不足です。しっかりと実績を作り経営力を習得してもらうことで、地域の競争力を強化するのです。
地域経営をテーマに考えていた私にとって重要なサブテーマは「人づくり」でした。会津の歴史にも興味がありました。振り返ってみれば、昨今の言葉でいう「シビックプライド」、すなわち都市に対する市民の誇りであり、権利と義務を持って主体的に活動することへの関心が高かったのです。
会津の人は「誇り」という言葉をよく使います。誇りは、自分たちが寄って立つものであり、その地域の文化や伝統、歴史、先人たちが作り遺したものによって育まれます。ただ実は、高校生の頃までの私は「海外に飛び出て働こう」と考えていたのです。
中村 そのグローバル志向が、どうしてローカル志向へと変わったのですか?
本田 先人の「思い」を知ったからです。歴史を学ぶにつれて関心が深まりました。戊辰戦争後に会津松平家の松平容保(まつだいら・かたもり、1836〜1893)が送られた斗南藩のあった青森県にルポ取材に出向き、先人たちのことを書物で知り、後継の方々の話を聞くなどを経て、当時の人々が「後の世に、会津に生まれる人たちが誇れる場所にしたい。そのためならば苦労の道も歩む」という思いの強さを知ったのです。
発信された「思い」には、受け取る人が必要です。私は先人の思いを受け継ぎたいと考えました。でなければ先人が報われず気の毒です。そうしたことがあって私の海外志向は、同じエネルギー量を持ってローカルへと方向転換したのです。
中村 私が本田さんに興味を持ったのは、会津のベンチャー企業が東京にも拠点を持って頑張っているという話を聞いたからです。当時から私にはフラットやオープンという意識がありましたので、本田さんと私の間に上下関係のようなものは初めから存在しませんでしたね。
すぐに打ち解けて、ビジネスパートナーというよりも、友人として付き合うようになった感じです。
本田 そうですね。中村さんのオープンやフラットといった思想や、その実現のための課題など、多くのことに共感しましたし尊敬もしました。本当に色々なことを学ばせていただきました。