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  • Well-beingな社会に向けたロボットの創り方

ロボティクスが拡張する“自己”がデジタルにより変化している【第13回】

安藤 健(パナソニック マニュファクチャリングイノベーション本部 ロボティクス推進室 総括)
2021年6月7日

個人の中にも多様な価値観が共存する

 もはや筆者自身の価値観では理解しがたい結果ではあるが、話を聞いてみると、5つのアカウントを持つ人は、それぞれのアカウントで口調も異なるなど、完全に別人格として違和感なく、むしろ分人を楽しんでいるようだった。

 今後、VR(Virtual Reality:仮想現実)やAR(Augmented Reality:拡張現実)などのXR技術が活用されるようになれば、アカウントというレベルだけではなく、アバターなどサイバー空間上の外見を含め、自己はより多様化していくであろうと思われる。

 すでに「個人個人の価値観は多様である」という考え方は当たり前になってきている。それがサイバー空間では、「個人の中にも多様な価値観が共存している」という分人の考え方がより早く、より深く広がっていくのではないだろうか。

 先の例でいえば、在宅勤務の父親はフィジカル空間における分人化の事例であり、SNSの複数アカウントの事例はサイバー空間における分人化ということもできる。

 自己拡張によるWell-beingの実現を考えるとき、対象にする自己が目まぐるしく移り変わり、境界が解け始めている今、「分人」という多様な存在があることを理解しているのとしていないのでは、対応の仕方や提示するソリューションは変わっていくだろう。

遠隔操作型ロボはロボティクスの領域の“分人”

 SNSの事例は、完成度の高いレベルで社会に実装されている。同様の兆候が、ロボティクスの領域においても、わずかではあるが出てきている。遠隔操作型のロボットが、その代表例である。

 遠隔操作型ロボットに関しては、第3回『操縦型ロボットは今、アバターとしての幕を開ける』において、Avatarinとオリィ研究所の事例を紹介した。テクノロジートレンドとして、「Shared Autonomy」「Shared Control」を基盤とした複数台のロボットを同時に制御する流れも示した。

 著者は、パナソニックが神奈川県藤沢市で実施している屋外公道を使った宅配ロボットの実証実験に携わっている。この実証実験がまさに遠隔監視・操作型で実施されている。

 藤沢市の実証実験では、ロボットは通常、自動走行で商品を配送している。だが、一時停車車両など、なんらかの理由で人手による介入が必要な場合は、遠隔から操作する。1つのエリア内に複数台のロボットが走行しており、公道における複数台の遠隔操作は、これが日本で初めてだ(図2)。

図2:神奈川県藤沢市における複数台のロボット運用の例

 今後は、別々の場所、さらには別の国で動いている複数台のロボットを遠隔操作するような事例も出てくるであろう。その場合、地域や国によって道路状況や交通ルールが違うため、遠隔操作は、まさに「分人」と言えるレベルの、異なる人格として操作する必要があるだろう。

 分人は単に“分かれる”方向だけではない。ソニーCSLの笠原氏らは2021年に開かれたMedia Ambition Tokyoにおいて「Morphing Identity」という作品を発表した。Morphing Identityは、向かい合った2人の顔がリアルタイムにモーフィングされ、いつの間にか自分の顔が他人の顔になっていくというものである。

 複数台のロボット操作が個人を「分割」するものであるのに対して、Morphing Identityはある意味で個人を「融合」していると言えるだろう。こうした個人の分割や融合をどのように実現していくかは、著者も参画する内閣府ムーンショットプログラム「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」の中で、国を挙げて取り組んでいくことになる。

遠くない未来に備え検討事項を整理すべき

 多くの読者にとって、これらの事例は、まだまだ先の未来だと捉えられるかもしれない。しかし、既に兆しが出ているということは、「今日、明日」とは言わないまでも、そう遠くない未来に当たり前になると考えた方が良い。

 来たるべき未来に対し、法制度を含めて、まだまだ整理すべきことは多い。少し利用シーンを考えただけでも多くの検討事項が浮かんでくる。

 例えば、ある人が複数のロボットを別々の国で操作したときに、その作業の最低賃金や得られた収入に対する税金は、どの国のルールで考えるべきか、融合した分人が作業をしているときに事故が起きれば誰の責任になるのか、などなどだ。

 これらの課題を乗り越えながら、それぞれの「分人化された自己」において、それぞれの価値観に基づいて“ありたい姿”や“やりたいこと”が実現できるように自己拡張がなされる。その結果として、多様な「自己」がイキイキと暮らし、その集合体としてWell-beingな社会が構築されていくようにすべきであろう。

 次回は、自己拡張によるWell-beingへの貢献に関して、もう少しビジネスサイドからその価値を考えてみたい。

安藤健(あんどう・たけし)

パナソニック マニュファクチャリングイノベーション本部ロボティクス推進室総括。パナソニックAug Labリーダー。博士(工学)。早稲田大学理工学術院、大阪大学大学院医学系研究科での教員を経て、パナソニック入社。ヒトと機械のより良い関係に興味を持ち、一貫して人共存ロボットの研究開発、事業開発に従事。早稲田大学客員講師、福祉工学協議会事務局長、日本機械学会ロボメカ部門技術委員長、経済産業省各種委員なども務める。「ロボット大賞」「IROS Toshio Fukuda Young Professional Award」など国内外での受賞多数。