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ロボティクスが拡張する“自己”がデジタルにより変化している【第13回】

安藤 健(パナソニック マニュファクチャリングイノベーション本部 ロボティクス推進室 総括)
2021年6月7日

 前回は、自己拡張による“幸福(Well-being)”を実現するにあたり、「Well-beingとは何か」、そして「拡張にはどのような種類があるのか」を紹介した。もう1つの重要な問題として「そもそも“自己”とは何なのか?」がある。その“自己”に対する考え方や捉え方が近年、デジタル化の浸透により急激に難しさを増している。今回は、自己すなわち「私とは何なのか?」について思考を巡らせてみたい。

 2021年5月もニュースのトピックスの中心は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対する緊急事態宣言と、オリンピック/パラリンピックなどであった。そうした中で個人的に少し驚いたニュースの1つが、自由民主党がLGBTなどの性的マイノリティに対する理解増進法案の国会提出を見送ったというものである。

 本連載は、政治についてとやかく言う場所ではない。だが、このニュースからは、日本の制度や、そもそものマインドセットが、まだまだ未熟な状況にあると言わざるを得ないだろう。少なくともヒトを「男」と「女」の2つに分類することをベースにした現行の法制度だけでは整合がとれない事象が発生しているのは間違いない。

多様化する“自己”の境界が曖昧になってきている

 NHKが2021年4月に放送した『ヒューマニエンス「40億年のたくらみ」』では、「性スペクトラム」という研究成果が紹介されていた。性スペクトラムとは、「オトコとオンナは『0・1(ゼロイチ)』の関係ではなく、グラデーションなものである」というものだ。

 近年は「多様性(ダイバーシティ)」が様々なところで議論されている。その中で我々はすぐに、ヒトを性別や人種、宗教などで分類したがる。だが、科学的に見て「分類」によるカテゴリーに該当するかしないかだけではなく、「スペクトル的に表現される」という指摘は、非常に大きな示唆を含んでいると言える。

 「0か1か」ではない考え方は、“自己”や“わたし”というものを考える上でも非常に参考になる。例えば、ビジネスシーンでマーケティング施策を実行する際に我々は、ヒトを勝手にセグメントに分ける。だが、そのセグメントはシームレスにつながっているうえに、時々刻々と遷移しているのが実情だ。こうした状況は、COVID-19によって在宅勤務が増える中で、多くの人が経験し始めている。

 例えば、会社では部長であっても、家庭では乳幼児の父親というケースは多く存在しているはずだ。会社では非常に厳しいことズバズバいう頭脳明晰なスゴイ上司も、家族にとっては、ただの父親である。テレビ会議中に子供が部屋に乱入し、会社では見せないデレデレな顔を子供に見せているといったシーンに出くわした読者もいるのではないだろうか。

 つまり、公私に分かれていた2つの“わたし”という自己が、その境界を急激に曖昧にし、解け始めているのである。

 ただ、このような考え方は別に新しい考え方ではない。フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ氏は「分人(dividual)」という考え方を1990年に示している。それまでの個人は「individual」、すなわち「in(否定) + divide(分割)= 分割できない存在」として扱われていた。これに対して、「分人(dividual)」は「個人は分割可能な存在である」として捉えようとするものだ。

 上述した上司の例でいれば、会社での部長としての個人と、家庭での父親としての個人は、もはや別の自己として取り扱うということである。

「分人」という考え方・生き方をデジタルが広げる

 分人というスタイル、あるいは分人主義は今後、ますます浸透していくだろう。それを牽引するのがテクノロジーだ。分かりやすいところでは、ソーシャルメディアである。

 ソフトウェア開発会社のジャストシステムが2020年に実施した調査によれば、InstagramやTwitterのSNSユーザーのうち、約60%が複数のアカウントを持っている(図1)。保有するアカウント数では、「2つ」が48.4%で最も多く、次に「5つ以上」が20.5%で続く。

図1:SNSにおける複数アカウントの保有状況