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Society 5.0の自己拡張は“感情・感性”含む「IoH」で実現する【第14回】

安藤 健(パナソニック マニュファクチャリングイノベーション本部 ロボティクス推進室 総括)
2021年7月5日

Society5.0以前の「Society 4.0」における“情報”の中身

 では、Society 5.0/超スマート社会以前は、情報は取り扱われていなかったのかといえば、決してそんなことはない。1世代前の「Society 4.0」は、「情報社会」と呼ばれ、まさに「情報」の時代だった。GAFA(Google、Amazon.com、Facebook、Apple)やBAT(Baidu、Alibaba、Tencent)など米中の巨大インターネット企業が一気に成長した時代でもある。

 この時代において、インターネット上を流れる情報の多くは、Webサイトに掲載されている情報や、電子メール/SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)でやり取りされる情報だ。それらの情報を元に個々人に、より最適な広告を提示することが代表的なビジネスモデルになった。

 言葉を変えれば、Webサイトやメール、SNSへの投稿など、人が意図的に作り出した情報の中から、最適と思われる情報をサイバー空間で伝達し、人の思考・行動を狙った方向に誘導していくことが、Society 4.0の時代だとも言える。

 デザインエンジニアの緒方 壽人 氏が、その著書『コンヴィヴィアル・テクノロジー』で指摘したように、この時代はヒトが情報の発生源であり、その意味から「IoH(Internet of Human:ヒトのインターネット)」の時代だとも言えるだろう。IoHを、サイバー空間でヒトから得られる情報に限定せず、フィジカル空間に実在するモノへと拡張したものがIoTだと考えられる。

 この文脈において、「ロボット活用による自動化」は、まさにIoTの代表的な事例である。工場などの実空間に存在するロボットの最適制御や、変動する需要やオンデマンドなオーダーに対応できるフレキシブルかつアダプティブな製造、予防的メンテナンスなど、さまざまに、かつ有用な事例が誕生している。

自己拡張における情報は再び「IoH」に戻る

 これからのロボットは、本連載で再三述べてきたように、「自動化による生産性向上」という価値に加えて、「自己拡張による幸福度向上」という価値を提供するようになっていく。では自己拡張の時代に入っていくに当たり、どのような情報がやり取りされるようになるだろうか。

 現時点での筆者の考えは、「再び『IoH』に戻る」というものだ。ただし、Society 4.0におけるIoHそのものではない。より無意識的な情報であり、人の内部の状態、すなわち心の状態や感情、感性などとして扱われる情報が含まれる。そうした情報が加わることで、IoHの価値は、さらに高まっていくと考える。

 例えば、脳にセンサーを直接つないで取得する脳情報そのものは「Internet of Brain」などと表現される。新しいIoHが扱う情報は、単に脳情報をつなぐだけではなく、脳情報を処理することで得られる心の状態や感情、感性などだ。それらは「IoE(Internet of Emotion)」や「IoM(Internet of Mind)」などとも表現できる。

 第12回で、自己拡張は、(1)身体的に拡張する「量的拡張」と、(2)精神的・社会的に拡張する「質的拡張」に分類できるとした。量的拡張は、ヒトへの入力に当たる五感の性能を物理的に変化させることや、出力に当たる筋力などの性能を変化させることである。一方の質的拡張は、ヒトの心の状態、感性など内面的な状態を変化させることだ。

 これを制御工学分野で使われるブロック図で単純化したのが、図2である。

図2:人と社会のWell-beingは量的拡張と質的拡張の変化で実現する

ヒトとネットをつなげる技術は常に進歩している

 入力信号である五感のデータ化やインターネット接続に関しては、スウェーデンのエリクソンが2019年、調査レポート『10 Hot Consumer Trends 2030』において「視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚に連動してインターネットとつながる『Internet of Sense』を使ったサービスが2030年までに実現する」とした。

 同レポートはサービスの実例として、触覚の伝送、味覚の変換、香りの再現などを挙げる。いずれも今日のテクノロジーの進化からすれば、十分に達成できる範ちゅうにありそうだ。

 ヒトからの出力信号である動作や筋力などの情報は、既にネットワークへの接続が可能になっている。例えば、画像センサーを用いて動作を非接触に計測・解析する技術は、特別なマーカーなしにミリ単位の精度で推定が可能になってきている。従来は、モーションキャプチャーシステムとして、マーカーが必要だった。筋電信号なども簡易なセンサーで安定した計測ができる。

 ヒトの内部の状態に関する情報については、まだまだ未知の領域が多いものの、入力情報である感覚情報や、内部情報となる生理信号は、高い精度で計測できるようになった。例えば、交感神経、副交感神経など自律神経系に関連するとされる心拍変動、血圧などである。ストレス状態も可視化できる。

 ウェアラブルデバイスの普及もある。スマートウォッチ「Apple Watch」(米Apple製)のユーザー数だけでも1億人を超えている。こうしたウェアラブルデバイスを使って、日々のバイタルデータを計測・蓄積する人も増えている。

 ただし、これらの情報が、本当の意味での個々人の内部の状態を正確に表現できているかといえば、まだ難しい。人それぞれの感性や価値観などを精神的・社会的に拡張するために本質的に重要と考えられる情報はデータ化できていないからだ。

 そもそも、直接的に感性や価値観などが計測できるのか、あるいは、関連しそうな情報からモデルを作って推定するのか、リアルタイムに計測しながらパーソナライズできるのか、ある程度のグループに分けた状態で推定していくのかなどなど、多くの技術的な課題に対して決定的な解決策は見いだされていないのが現状である。