• Column
  • Well-beingな社会に向けたロボットの創り方

わたしのWell-beingから、わたしたちのWell-beingへ【第18回】

ロボットが人と人の間にWell-beingを生み出す

安藤 健(パナソニック マニュファクチャリングイノベーション本部 ロボティクス推進室 総括)
2021年11月8日

前回の『“ぼーーっと”する時間が生み出すWell-being』では、人が1人でいるときのWell-being(幸福)について、特に“ぼーーっと”することをサポートするプロダクトである「ゆらぎかべ」を事例に、何を意図して開発したのかを紹介した。今回は、1人ではなく、人と人の関係性の中で生じるWell-beingについて、筆者らが開発してきたプロトタイプを紹介しながら考えてみたい。

 前回は、1人で実現するWell-being(幸福)について議論した。“ぼーーっ”とする以外にも、音楽やゲームに没頭するなど、人が1人で完結できるWell-beingは確かに多く存在する。

多くのWell-beingは他者との関係で成り立っている

 一方で、Well-beingは1人では完結しない場合も少なくはない。友達や家族、職場の同僚、地元のコミュニティの中で感じられるWell-beingが、私たちが感じるWell-beingの中で多くの割合を占めていることは、読者の皆さんも感じていることだろう。

 そうした自分以外の存在との間で生じるWell-beingを「わたしたちのWell-being」と呼ぶことにしたい。詳細については、渡邉 淳司さん、ドミニク・チェンさんらが監修・著している『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために-その思想、実践、技術』を是非お読みいただきたい。

 「わたしたちのWell-being」については、東アジアを中心とした東洋的思想とも、つながりが強いと言われている。アメリカなどにおいては、感情は「家族、友達など自分以外の存在とは独立し、1人で経験する」という考えられる場合が多い。

 これに対し日本などでは、「人と人の間に感情が存在し、他者とともに感情を経験する」と考えることが多い。こうした考え方の違いは、仏教などの宗教や文化的な影響が存在しているかもしれない。

人とロボットのコミュニケーションを目指していない「babypapa」

 上記のような「わたしたち」のWell-beingの実現に向けて筆者らが開発したロボットの1つが「babypapa」だ(写真1。babypapaを紹介しているYoutube動画)。その基本機能は、内蔵するカメラで撮影した写真をクラウドにアップロードすることで、複数人での閲覧を可能にすることだ。そのため「コミュニケーションカメラ」と呼ばれることもある。

写真1:「わたしたち」のWell-beingを目的にしたロボット「babypapa」

 babypapaは3体が1セットのロボットである。互いにお喋りしたり、歌ったり、怒ったりする。しゃべると言っても、意味が分かる明確な言語を話すわけではない。映画キャラクターの「ミニオン」や「ピングー」のように独自の言語を用いており、何を言いたいかが、なんとなくは推測できるレベルでコミュニケーションにとどまる(babypapaが動いている様子のYoutube動画)。みなさんからは「かわいい~」と評されることが多いタイプのロボットだ。

 このようなロボットを作っていると「コミュニケーションロボット作っているんですね」と言われることが多い。一般的なカテゴリーとしてはコミュニケーションロボットに該当するのかもしれない。だが、開発している立場から言えば、コミュニケーションロボットというものを作ろうと思ったことは一度もない。

 少なくとも筆者は、「ロボットと人がコミュニケーションできるようにしてみよう」と思ったことはない。実際、babypapaは音声認識機能も備えておらず、上述したように人とのコミュニケーションは、ほとんどできない。

 コミュニケーション(通信)という意味でbabypapaができるのは、3体のロボット間でのやり取りだけだ。3体が存在することで、小さな社会というものが形成できると考えている。3体だけで勝手に話している(実際は話しているように見える)し、笑ったり怒ったりもしている。その3体が形成する“社会”に興味を持った人だけが、その社会に加われる。

 ただし、興味を持った人がロボットの社会に入ったとしても、ロボットが積極的に絡んでくることはない。人の側がヤル気になれば一緒に歌ったりはできるかもしれない。