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  • 新規事業開発でデジタル課題を発生させないための3条件

0 → 1フェーズ:顧客課題が先か、サービス/プロダクトが先か

畠山 和也(本気ファクトリー 代表取締役)
2020年9月4日

実践事例:サイバーリンクの顔認証SDK「FaceMe」

 このSDKの手法を実践している会社に、台湾のサイバーリンクがあります(図4)。

図4:SDKを使い「顧客課題」と「それを解決し、かつ実現可能なサービスプロダクト」のセットの発見をパートナーに委ねる

 サイバーリンクは台湾で最大手のソフトウェア開発会社です。DVD再生ソフトウェア「PowerDVD」や、動画編集ソフトウェア「PowerDirector」、AR(拡張現実)メイクアプリ「YouCamメイク」などコンシューマー向けソフトウェアが主力製品です。PowerDVDは日本市場ではトップシェアを持っています。

 ただコンシューマー向け市場が頭打ちになってきたことから、法人向け市場への展開を模索していました。その中で新規事業開発の中核に据えた領域の1つが「顔認証技術」です。動画編集やARメイクのソフトウェアの開発により人間の顔を認識する技術の蓄積があったことと、2015年ころからAI(人工知能)技術が加速的に進化し始め先行メーカーに技術力で追いつける可能性が高いと判断したことが理由です。

 ここまでは大企業のシーズありきのアプローチです。実際、取り上げた顔認証技術は、「カメラで撮影した顔の画像から個人を認識する」という技術ですが、これ単体ではプロダクトにもサービスにもなりません。顧客にとって役立つプロダクト/サービスの一部としての活用を模索することになります。

 活用方法としては、ドアセキュリティ、eKYC(顔認証)、キャッシュレス決済、非常時安否確認など多様な方法が考えられます。しかし現実には「顔認証技術の応用範囲の広さ」こそが、事業開発において大きな問題になったのです。

 顔認証技術は、さまざまなシーンでの活用が見込まれます。それだけ巨大なマーケットであるという美点もありますが、一方で先行メーカーはじめ、多くの競合メーカーも存在します。そうした環境下で、単に「顔で個人認証ができる」というだけでは、事業が成立する可能性は薄いと言わざるを得ません。

 そこで同社は顔認証技術のSDK「FaceMe」(図5)を提供することで、パートナー企業や顧客に課題の抽出と、それを解決するプロダクトの発見を委ねるという手法を採りました。

図5:顔認証技術のSDK「FaceMe」の画面例

 FaceMe事業の日本の責任者である萩原 英知 氏は、その理由をこう語ります。

 「当初、FaceMeの組み込み先を考えたときは10以上の候補が上がりました。さらにドアセキュリティだけでも、個人宅向け、オフォス向け、ホテル向け、商業施設向けなど多様な顧客とニーズが考えられます。個別のソリューションを弊社が開発しようとすれば、成立するかどうかわからない領域の顧客課題をヒアリングし、テストプロダクトを作って提案するということを繰り返さなければなりません。弊社だけで競合優位を発揮できる領域を見つけるには膨大なコストがかかると考えざるを得ませんでした」

 それに対し、顧客のシステム開発に長年取り組んでいるパートナー企業であれば、顧客が持つ業務上の課題については認識しています。その課題認識に基づき、テストプロダクトを作り、課題を明確化していく取り組みは、各種情報を持たないサイバーリンク自身が取り組むよりは、ずっと効率的です。サイバーリンクは、パートナー企業の取り組みを主に技術面から支援することで、顧客や業務に関する知見を獲得し、SDKの開発に活かしています。

 SDKを介して、顔認証技術を持つサイバーリンクと、顧客や業界の課題に詳しいパートナー企業や顧客が連携することで、多数の事業領域での活用を同時に模索できています。結果、複数領域で実用レベルのプロダクト開発が進行しています。その中には「動画内での登場人物DB」など、当初は想定もしなかった用途も生まれています。現在サイバーリンクは、パートナー企業との連携を制度化したパートナープログラムを2020年2月から開始しています。

それでも顧客との直接のコミュニケーションは不可欠

 萩原氏は、「SDKを活用した事業開発は決して万能ではありません。成立するためには、いくつかの条件があると考えています。(1)顔認証技術のように注目分野でありパートナー企業や顧客が興味を持ちやすい分野であること、(2)顧客企業の業務課題に詳しく、SDKを使った開発ができるプレーヤーをパートナーにすること、(3)技術だけに閉じこもらず、かつ課題抽出をパートナーだけに任せるのではなく、自らがエンドユーザーである顧客の課題を積極的に聞き出せる体制を作ること、などが不可欠です」と語っています。

 新規事業開発は、多くの専門家が指摘するように、最初にとりかかるべきは「対象となる顧客と、その課題」の特定です。解決するべき課題が見つかっていない中で、解決策であるプロダクトだけを考えても、「顧客を探して彷徨う」羽目になることは想像に難くないでしょう。

 技術シーズから出発する新規事業開発はともすれば、可能性のありそうな領域のどれかに賭けるという“ギャンブル”になりがちです。しかし、SDKを活用してパートナーと一緒に事業開発に取り組むという手法は、制約もあり必ず選択できるとは限らないものの、有効な手法だと言えるでしょう。

畠山 和也(はたけやま かずや)

本気ファクトリー 代表取締役。2005年ソフトバンクBB(現ソフトバンク)に新卒入社以後、リクルート、スターティアラボ、ラクスルにて新規事業に携わる。2014年に独立以後は博報堂や三井不動産など主に大企業の企業内起業を支援する傍ら、パラレルキャリア人材として複数のスタートアップに株主/役員として参画している。情報経営イノベーション専門職大学 客員教授。