• Column
  • 今考えたいエマージングテックの価値と企業の成長戦略

ブレインテックが創出する「認知データ」による人間理解が新たな価値に【第6回】

野村 理朗(KPMGコンサルティング シニアマネジャー)
2026年11月4日

前回は、AI(人工知能)技術をハブに組み合わせるエマージングテクノロジー(新興技術)としてブレインテックを取り上げ「思考のインフラ化」への道筋を解説した。人間とAI技術とをブレインテックでつなぐことで、個々人の頭の中に閉じ込められていた固有の文脈を組織として設計・再利用するための仕組みを設計する。今回は、ブレインテックにより顧客や従業員の行動の背後にある注意や負荷を捉えることが、体験や働く環境、サービスの設計に、どう生かせるかを解説する。

 脳は、外界の情報をそのまま記録する装置ではない。脳は膨大な刺激の中から注意を向ける対象を選び、過去の経験と照らし合わせながら、次に起こることを予測し、現実を解釈している。私たちが「合理的に判断した」と考える場面でも、身体の緊張や疲労、その時の感情、周囲の環境が選択に影響している。

そのため人間の行動を理解するためには「何をしたか」という“結果”に加え、その瞬間に「何を見て、どの程度の負荷を感じ、どこで迷ったのか」という“過程”にも目を向ける必要がある。

 従来、企業が扱ってきた顧客や従業員に関するデータの多くは、購買やクリック、離脱、勤怠、回答など、行動の後に残る「結果のデータ」だった。一方、過程の情報を得る手段としてアンケートやインタビューも有効だが、本人がうまく言葉にできない反応は捉えにくい。一瞬の注意の変化や、時間とともに薄れる感覚も同様だ。

 この空白を埋める手掛かりになりつつあるのが、ブレインテック(Brain Tech)である。脳計測や生体センシング、視線解析、表情・音声解析などをAI(人工知能)技術と組み合わせることで複合的な分析を可能にする。

ウェアラブルデバイスなどが「認知データ」の計測負担を軽減

 ブレインテックで得られるデータを「認知データ」と呼ぶ。具体的には、利用場面に、人の注意や負荷、迷いなどを確率的に捉える脳波や、心拍などの生体信号、視線、表情・音声、操作履歴、および自己申告を組み合わせたデータだ。行動が生まれた時の状態を解釈するためのデータであり、人間の心を直接読み取った値ではない。

 認知データを“結果”のデータに加えると人間理解の軸が広がる。年齢や購買履歴といった固定的な属性に、状況によって揺れ動く状態を重ねられるからだ。顧客体験や従業員体験についても、結果への対応に加え、認知データにより、その結果が生まれる過程へ働きかける余地が生まれる。

 この変化を支える要因の1つが計測負担の軽減である。脳波や心拍変動、皮膚の電気反応、呼吸、眼球運動などが、ウェアラブルデバイスやカメラ、スマートフォンといった身近な端末で取得できるようになった。用途や端末によって精度に差があるもの、研究現場などで、その時点の値を測るだけでなく、店舗や職場、学習環境の中で、状態の変化を観察する場面も増えている。

 分析の仕方も変わる。人間の表情だけから感情を断定するのではなく、視線や声の特徴、生体反応、操作履歴や利用場面のデータを重ね、状態を確率的に推定できる。取得したばらばらの信号をAI技術により共通の文脈に置き換え、本人の通常状態からの変化や、特定の環境で繰り返されるパターンを探す。

 ただし、得られた生体反応や表情のデータを、本人の言葉よりも“本音”に近い値として扱うのは危うい。同じ反応でも、その意味は体調や文化、置かれた状況、過去の経験によって異なるからだ。

 複数のデータを重ねたとしても、その意味が自動的に一つに定まるわけではない。自己申告や計測値、行動データを突き合わせ、その人が置かれた文脈の中で解釈する必要がある。本人の通常状態と比べて変化を捉えたり、推定結果を本人との対話で確かめたりすることも、誤った解釈を避ける助けになる。

 状態を文脈の中で捉えることで、測定後の働きかけまでを設計できる。集中度の低下に応じて情報量を減らす、緊張が高まる場面では案内方法を変えるなど、理解度に合わせて学習課題を出し分ける。認知データは事後分析の材料であると同時に、その場の体験を調整する入力にもなりつつある。

認知データが体験設計や支援サービスの基盤に

 図1は、状態の把握から体験の調整、変化の確認、次の改善までの循環を示したものである。この一連の動きに事業価値がある。顧客の離脱、研修の理解度、事故リスクなど、改善したい事業指標と結びつければ、認知データは継続的な体験設計や支援サービスの基盤になり得る。

図1:認知データの価値は、状態に応じて体験を調整し効果を確かめることにある