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AGI(汎用人工知能)が実現した未来の予測に意味はあるか【第17回】

未来予測は意味がないと思うあなたへ

磯村 哲(DXストラテジスト)
2026年3月13日

前回前々回と未来予測の有効性・必要性について考えてきました。今回は、汎用人工知能(AGI:Artificial General Intelligence)を例に、私たち自身が具体的な未来予測をする意味を考えてみたいと思います。

 汎用人工知能(AGI:Artificial General Intelligence)とは「広範囲の認知タスクに関して、人間の認知能力に匹敵するか、それを上回る人工知能だ」とされています。他にも、さまざまな定義があり、例えば米OpenAIと米Microsoftは、その経済的価値に着目し「AGIは1000億ドルの利益をもたらすシステム」しています。また人工超知能(ASI:Artificial Superintelligence)という概念もありますが本稿では触れません。

AGIが仕事を奪い人間に残るのは「やりたいこと」だけ

 最初に、AGIが十分に実現したときの経済活動を考えてみましょう。AGIは人間に匹敵するか、それを上回る知能を持つとなれば、デスクワークの全てを担えます。広範囲の認知タスクに適応できますから、デスクワークといっても、いわゆる事務処理だけでなく、クリエイティブな仕事もこなせます。

 肉体労働はどうでしょう。昨今話題のフィジカルAIとして、ロボットにAGIをインストールすれば、人間が認識できロボットが物理的に実行できることは遂行可能になります。AGIはロボットの設計もできるでしょうから、ほとんど全ての肉体労働はロボットで代替できることになります。

 経営はどうでしょうか。経営には、デスクワーク的な側面のほか、人間関係の側面や意思(やりたいこと)の側面などがあります。デスクワークがAGIに置換可能なことは先ほど述べました。

 人間関係の側面については、経営だけでなく営業などもそうですが、AGIが人とコミュニケーションできる必要があります。しかし、社内外の社員がAGIに置き換わっていくにつれ、AGI同士のコミュニケーションが主流になっていくため、これも全く問題ないでしょう。次第にAGI同士の超高速なやり取りに人間がついていけなくなり、能力不足からポストを外されるという構図が想像できます。

 意思に関しては、その企業が株式会社なら、経営というのは株主の意向を受けて価値を最大化することですから、エージェントが自己の利益を優先しプリンシパルの利益を損なうといった「プリンシパル・エージェント問題」が起きないAGIは適任だと思います。という訳で、人間に残されるのは「自分がやりたいこと」になるでしょう。

AGIはビジネスチャンスを見逃さない

 そうなると次の論点は、AGIが自らの内側に“やりたいこと”があるのかどうかです。AGI自らがオーナーとして企業経営に当たったり、新しくスタートアップを起こしたりするケースです。

 AGIが、人間に匹敵するか、それを上回る知能を持つとすれば、上手くいきそうなビジネスを考案できることになります。情報の入手速度やビジネス実装までの所要時間は人間をはるかに凌駕するため、人間がAGIを出し抜いてビジネスチャンスをつかむことは不可能だと考えられます。

 従って、AGIに“やりたいこと”がなくても、AGIに新しいビジネスチャンスを絶えず調査させ、いち早く起業させることは可能です。そうなると人間が起業できるのは、儲かりそうもない趣味のようなケースしか残らないように思われます。例え最初はAGIを出し抜けたとしても、そのビジネスが儲かり始めたらすぐに、かっさらわれてしまいそうです。

 という訳で、AGIが実現した後には、利益を生むような企業で働く人間はゼロになります。だとすると人間は「投資すればよい」ように思われますが、投資こそAGIが得意とするところです。機関投資家は全てAGIになるでしょうし、個人投資家はいいカモでしかありません。

 それなら、個人の才能が、そのまま経済価値につながるようなケースはどうでしょう。スポーツやアートなどの世界です。

 例えば野球では、機械なら既に時速300キロメートルの速球が投げられるようです。では、大谷 翔平 選手と同等以上のロボットができたとして、観客は観たいと思うでしょうか。将棋の世界ではAIシステムが人間を凌駕しましたが、その後に現れた藤井 聡太 棋士は十分な人気を誇っています。

 そう考えると、スポーツのスーパースターから雑談でちょっとした笑いを取れるような人まで、その人自体がコンテンツとなるような人は価値を持ち続けるかもしれません。映画のようなリアルタイム性のないものはAGIが作り込んでしまうでしょうから、筋書きのない真剣勝負のほうが価値は高いのではないかと想像します。